ソフトバンクのARM売却が日本にとって損になる理由 --- 水口 進一

寄稿

ソフトバンクグループの孫正義会長兼社長(同社サイト:編集部)

ソフトバンクは2016年に英国拠点の半導体企業ARMを買収しましたが、ビジョンファンドの失敗などもあって、米国のNVIDIAにARMを売却するようです。ソフトバンクのARM買収はアメリカがほぼ独占するIPベンダーの一角を押さえたことでソフトバンクだけでなく日本にとっても重要なことだったのですが、結果的にはアメリカの半導体産業を強くして終わりそうです。

PCの時代の半導体はインテルやサムソンなどに代表される設計・生産両方行うIDMと呼ばれるビジネスモデルが主流でした。

しかし、モバイルの時代になるとIPに特化するIPベンダー、半導体設計自動化ソフトであるEDAに特化するEDAベンダー、生産に特化するファウンドリなど分業が進み、IPベンダー、EDAベンダー、ファウンドリが密な連携を取って顧客が簡単に半導体を作れるシステムを構築しました。そして半導体メーカーは自社IPとIPベンダーから購入したIPを組み合わせて設計で差別化し、生産はファウンドリにアウトソーシングするというビジネスモデルが主流になったのです。

今ではこのIPベンダー、EDAベンダー、ファウンドリのサポートが充実しているので設計能力さえあれば半導体を作れるようになっており、今後の成長が期待されるAI半導体はマイクロソフトやグーグルといったソフト企業が作っています。日本の半導体が売れなくなってモノづくりがダメになったなどと言われていますが、モノづくりもなにも半導体を作るうえで製造業である必要すらなくなっているのです。

そしてそのIPベンダーのなかで最も売上が大きいのがソフトバンクが買収したARMで、モバイル向けのアーキテクチャを業界標準にしてライセンス収入で稼いでいます。

アーキテクチャにはMIPSなどいろいろありますが、現状はPC向けにインテルが作ったx86アーキテクチャとモバイル向けにARMが作ったARMアーキテクチャの二強です。

x86はインテルが作ったものでAMDなどごくわずかにしかライセンスしておらず、それがPC時代のインテルの強みでした。しかし、モバイル向けアーキテクチャを作ったARMは半導体メーカーに対して中立の立場でARMのライセンスを買えば誰でも半導体を作れる環境を用意し、多くの企業がARMのライセンスで半導体を作るようになってだんだんとARMがx86の経済圏を奪いつつあります。

データセンター向けの半導体はかつてはx86が主流でここが利益率の高いインテルにとってのドル箱だったのですが、最近はARMを使ったアマゾンの半導体がシェアを伸ばしています。アップルもMac向けの半導体をインテルからARMを使った自社設計の半導体に変更する予定です。そしてスーパーコンピューターにおいてもそれまではx86もしくは独自のアーキテクチャを使っていましたが、ARMを使った日本の富岳が計算能力において世界一位を取りました。

また、今後普及が期待される産業用や車載用の半導体においてもARMを使うものが増えており、あらゆる分野の半導体においてARMが勢力を拡大しています。ただ、ARMの強みは半導体メーカーに対して中立だったことなのですが、ソフトバンクが半導体メーカーのNVIDIAにARMを売却したことでARMの中立性がなくなる可能性があります。現在は新たなアーキテクチャのRISC-Ⅴが注目されており、長い目で見ればこの買収をきっかけにRISC-Ⅴへの移行が進むかもしれません。

Laineema/Flickr

現在のIPベンダー・EDAベンダー業界はソフトバンクが買収したARM、ドイツのシーメンスが買収したEDAベンダーのメンター以外はアメリカがほぼ独占しており、アメリカが中国に対して強気の制裁ができるのは半導体を作るうえで必要なコアソフトや製造装置をがっちり押さえているからです。

ファウンドリでは台湾のTSMCが優位になっていますが、TSMCにおいてもアメリカのIPや製造装置が無いと行き詰るのでアメリカが国内に工場を作れと言えば従わざるをえません。

日本は素材や製造装置といったハードはそこそこ強いのですが、ソフトが全くダメなのでソフトバンクがARMを買収してIPベンダーの一角を押さえたことはソフトバンクだけでなく日本にとっても意味がありました。

しかし、ソフトバンクのビジョンファンドの失敗などでNVIDIAに売却することになり、IPベンダーはほぼアメリカが独占することになります。ソフトバンクのARM買収は結局アメリカ半導体産業の競争力を強化して終わり、半導体におけるアメリカ一強の時代はまだ続きそうです。

水口 進一 個人投資家
京都大学経済学研究科卒。経営指標や資本効率に基づいた経済・経営記事を投稿しています。