政策提言委員・元公安調査庁金沢公安調査事務所長 藤谷 昌敏
中国の尖閣周辺での本格的な実力行使が始まったのは、2012年のことである。当時の野田佳彦総理の決断で、尖閣諸島の内、民有地であった魚釣島、北小島、南小島の政府購入を決めたことが契機であった。
以後、数隻の中国海上警備総隊(以下、中国海警局)の公船が、恒常的に尖閣周辺の接続水域に侵入するようになった。2019年には282日間、日本の接続水域内に侵入し、今年は8月1日の時点で110日連続となった。これは、明らかに尖閣諸島の支配を狙った中国政府による日本の主権侵害行為に他ならない。
中国の核心的利益となった尖閣諸島問題
日本は、尖閣諸島の問題に対して、領土問題はないとの立場をとっているが、既に中国は、「尖閣諸島は核心的利益だ」として、その領有権を主張している。2013年4月、中国外務省の華春瑩副報道局長は、沖縄県の尖閣諸島について「釣魚島(尖閣諸島の中国名)は中国の領土主権に関する問題であり、当然、中国の核心的利益に属する」と述べた。中国が尖閣諸島を、妥協の余地のない国益を意味する「核心的利益」と公式に位置付けたのはこれが初めてだ。
中国は、それまで主に台湾やチベットの問題について核心的利益との表現を用いてきた。習近平国家主席は、これに先立つ1月末の共産党内の会議で、尖閣問題などを念頭に「平和的発展の道を堅持すべきだが、正当な権益を放棄したり、国家の核心的利益を犠牲にしたりすることは絶対にできない」と強調していた(日経新聞)。
ちなみに中国の核心的利益とは、中国共産党にとって絶対に譲歩できない利益のことで、①中国の国体、政治体制、政治の安定、すなわち共産党の指導、社会主義制度、中国の特色ある社会主義、②中国の主権の安全、領土保全、国家統一、チベット、新疆ウイグル、台湾問題、尖閣諸島問題など、③中国の経済社会の持続可能な発展という基本的保障――だと言われる。
準海軍となった中国海警局
2018年には、中国公船が所属する中国海警局は、国務院傘下の国家海洋局から正式に中国共産党中央軍事委員会の人民武装警察部隊の隷下に移り、実質的な海軍となった。それに伴い、2019年、世界最大級の1万トン級大型巡視船2隻(海警2901、海警3901)を就役させた。
それらの巡視船は、最高速力25ノット、強力な76.2mm単装砲、副砲2門、高射機関銃2門を装備するほか、J-8級ヘリコプターを2機搭載している。大型のため、経済速力16ノットで1万カイリ以上の長距離航行能力を持ち、遠く南シナ海やインド洋でのパトロールも長期間可能である。最高速度はフリゲート艦に比べ約5ノットほど低いが、非常時には対艦ミサイルや電子戦装備も設置可能だ。要するにいつでも戦闘艦として活用可能ということである。
中国海警局は、ほかにも近代的巡視船「海監83」(標準排水量3,980トン)、3,000トン級のヘリコプター搭載型5隻、大型巡航救助船「海巡01」(標準排水量5,418トン)を就役させている。これによって、中国海警局は、500トン以上の艦船を205隻も擁するようになり、準海軍とも言える世界最大級の沿岸警備組織となった(軍事研究9月号)。
海軍増強の背景にある台湾問題
近年の中国海軍増強の背景には、尖閣諸島問題と並んで中国の核心的利益とされる台湾問題がある。中国共産党は、台湾を「中国の不可分の一部」として、絶対に譲れない一線としている。つまり、台湾が独立に動けば戦争さえ辞さないということだ。最近の空母「遼寧」に続く国産空母「山東」の就役、国産原子力空母の建造計画という海軍力の大増強は、元々、第三次台湾海峡危機に端を発している。
1996年の台湾総統選挙で民主派の李登輝候補が優勢になると、中国軍は軍事演習と称して基隆沖海域にミサイルを撃ち込むなどの威嚇行為を行なった。これに対して、米国は台湾海峡に空母インデペンデンス、原子力空母ニミッツを中核とする空母打撃群を派遣した。中国側は福建省の陸海空全軍が最高レベルの警戒体制をとるなど、台湾海峡における緊張は最高潮に達したが、結局、圧倒的な海軍力の格差のため、まったく手を出すことができなかった。
その後、中国海軍は、台湾進攻を想定して何度も具体的なシミュレーションを繰り返したと言われている。その中では、対戦相手を米軍単独、米軍と海上自衛隊との共同、海上自衛隊単独など、あらゆる条件を想定した机上演習が行われた。その領域は、台湾海峡ばかりではなく、沖縄、尖閣諸島など日本近海における戦闘まで想定していたが、何度行っても中国海軍必敗の結果が出たと言われる。それ以降、中国は、海軍力の近代化と増強に力を注いだ。
尖閣諸島に対する武力侵攻はあるのか
中華人民共和国による台湾進攻が行われた場合、米軍はどう動くのだろうか。歴史的経緯や米国の強い対中姿勢を見れば、米海軍を動員するなどの米国の強い反発が予想される。ならば、尖閣諸島に対する侵略ならばどうだろうか。
米軍は日米安保条約第5条に基づき、尖閣諸島防衛のため日本と共同で対処すると考えたいが、中国との全面戦争を恐れる米国内の勢力が戦闘行動を中止させる可能性や支援程度に抑える可能性なども考慮しなければならない。
一方の中国海軍だが、その内実は決して盤石と言えるものではない。その理由は、第1に空母を戦力化するためには長期的な運用と実戦経験が必須だが、中国海軍は敵と戦った経験がない。第2に中国の2つの空母艦隊の編成に計200億ドル(約1兆6千億円)かかるとの試算があり、更なる増強を考えれば、今後、国家経済をかなり圧迫する可能性がある。第3に中国の兵器はカタログ値こそ優秀だが、実戦運用された場合の性能には疑問符がつく――などがある。
決して、中国海軍の実力を侮るべきではないが、中国海軍もそれなりに弱点は多く、直近に尖閣諸島への侵攻があるとは思えない。ただし、今後、中国海軍が更なる近代化と増強に成功したならば、その脅威度は飛躍的に高まる。それまでに日本も自衛隊の増強に努め、米国、英国、豪州、インドなどとの連携を強化し、軍事的優位を確立する必要があるだろう。
藤谷 昌敏(ふじたに まさとし)
1954年、北海道生まれ。学習院大学法学部法学科、北陸先端科学技術大学院大学先端科学技術研究科修士課程。法務省公安調査庁入庁(北朝鮮、中国、ロシア、国際テロ部門歴任)。同庁金沢公安調査事務所長で退官。現在、JFSS政策提言委員、合同会社OFFICE TOYA代表、TOYA危機管理研究所代表。
編集部より:この記事は一般社団法人 日本戦略研究フォーラム 2020年9月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は 日本戦略研究フォーラム公式サイトをご覧ください。