日本学術会議から推薦された105名の委員候補のうち、6名の学者が菅総理大臣に任命されなかったことが問題となっている。「なぜ、6名だけ外されたのか?」このシンプルな問いに対して、菅総理、政府側は納得できる説明が出来ていない。
昭和58年(1983年)の国会答弁では、日本学術会議法第7条第2項に規定する総理大臣の任命は、あくまで「形式的」なものであって、実質的には会議側の推薦した者がそのまま任命されると解されてきた。ただ、私は、委員が特別職の公務員の立場を有し、会議の運営に税金が投入されている以上、行政全般を総理する内閣総理大臣に任命に関する裁量権が全くないとまでは言えないと考える。
しかし、歴史的経緯からも尊重されてきた法第3条に規定する日本学術会議会議の独立性や学問の自由に鑑みると、その総理の任命権限の行使は抑制的でなくてはならないのは言うまでもない。よって、仮に、総理が「推薦のとおり」そっくりそのまま任命しないのであれば、なぜ任命しないのかの説明責任が求められるのは当然のことだ。
確かに、菅総理も一定の説明をしているが、それが「総合的、俯瞰的」という説明である。菅総理は、任命されなかった6名に、日本学術会議法17条に規定する「優れた研究又は業績」がないと言ってるわけではなく、あくまで「総合的、俯瞰的」な判断を理由にあげている。
では、この「総合的、俯瞰的」とは、一体どういう意味か。
実は、この言葉が国会に初めて登場するのは、平成16年改革の際の国会答弁である。平成16年の改革で対象となったのは、まさに委員の選出方法である。会議発足当初は、委員は選挙で選ばれていた。しかし、これでは研究や業績ではなく政治力での選出になるとの懸念から、昭和58年に学会からの推薦制度に改められた。
しかし、それでは学会ごとの縦割りに陥り、専門分野にとらわれない広い視野での活動が行われないとの観点から、平成16年、現在の会員が後任を選ぶという「コ・オプテーション方式」(現会員の推薦による欠員補充方式)を採用する改革が行われた。この際、制度変更の目的として用いられた言葉が「総合的、俯瞰的」なのである。
よって、総理大臣が推薦された6名を「総合的、俯瞰的」観点から任命しなかったのであれば、6名の学者の方々が、いかに「学会の利害から独立して」いないことや「自らの専門分野の枠にとらわれない俯瞰的な視点をもって」いないことを証明する必要がある。「総合的、俯瞰的」という言葉にも意味があるのである。
しかしながら、少なくとも現時点で、菅総理は納得できる説明に成功していない。今のような荒っぽい説明のままなら、「総合的、俯瞰的」とは、「こいつらは気に入らない」ことの同義にしかならない。これではとても納得感の得られる説明にはならない。
推薦を否定する総理側にはより高度な説明責任が求められるし、推薦が訳もなく否定されたのでは、研究に対する萎縮効果を与えることにもなりかねない。もし納得できる説明ができないのであれば、6名は推薦どおり認めるべきだ。
他方、私は日本学術会議の側にも見直すべき点があるとの立場だ。これまで2003年、2015年と有識会議から見直し提案が出されているが、共通しているのは、学術会議側の「選考基準やプロセスの明確化、透明化」だ。2015年の有識者会議の提言では、以下のように提案されている。
○選出過程における運用上の工夫
上記の個々の会員・連携会議への働きかけに加え、制度的な工夫も必要である。現状では、基本的には分野ごとのボトムアップによる推薦がベースであり、学際的な活動において業績を上げている人材が候補として上がりにくい仕組みとなっているが、例えば、選出過程の途中の段階で、専門分野における業績以外の観点からの候補者を意識的に入れる仕組みを設ける、あるいは選出を行う委員会に外部の有識者を入れるなど、運用面での工夫について検討すべきである。
○求める人材像、選出プロセスの明確化、透明化
組織としてどのような人材を求め、そのためにどんなプロセスを経て選出されるかは、組織としての根幹を成す事項であり、これらの事項について、会員・連携もとより対外的にもオープンにすることが、組織としての信頼性に繋がる。このため、例えば、求める人材像やプロセスを分かりやすく整理し、ホームページ等で公開するなど、明確化、透明化に向けた方策を講じるべきである。
こうした提言が、その後、どこまで実現できているのか、この機に、検証が必要だと考える。日本学術会議側の選定基準そのものが不明確で不透明であるとの批判を受けるようならば、そこに政治の付け入る隙も生まれ、結果として、今回のような不明確で不透明な理由によって任命を拒否されるようなことも起こり得るからである。特に、委員の「バランスや多様性」については一定の自主的な基準を設けることが重要だと考える。
また、組織の見直しについても累次にわたって提言が行われてきた。私は、今回、日本学術会議の独立性に疑問が生じたことを奇貨として、自主的に、組織見直しを提案してはどうかと考える。
2003年の提言では、「日本学術会議が政策提言を政府に対して制約なく行いうるなど中立性・独立性を確保したり、諸課題に機動的に対応して柔軟に組織や財務上の運営を行なって行くためには、理念的には、国の行政組織の一部であるよりも、国から独立した法人格を有する組織であることがふさわしいのではないか」とされているが、まさにこの提言を踏まえた改革を行うべき時期に差し掛かっているのでないか。
個人的には、欧米のアカデミーのように、政府からの財政基盤の保証を受けた非営利の民間組織(公益社団法人等)にすることも一案だと思う。日本学術会議もまた、自ら変わっていかなくてはならないと思う。
今回のことで日本学術会議の存在に世の中の関心が集まったのは悪いことではない。これを機に、国民皆で「政治と学術の関係」を考えるきっかっけになればと思う。
編集部より:この記事は、国民民主党代表、衆議院議員・玉木雄一郎氏(香川2区)の公式ブログ 2020年10月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はたまき雄一郎ブログをご覧ください。