ドイツの首都ベルリン市ミッテ区の公道で先月28日、在ベルリンの韓国人団体「韓国協会」(Korea Verband)が旧日本軍の慰安婦を象徴した「少女像」を設置した。その直後、在独日本大使館などの抗議を受け、同区当局は少女像の撤去を指令したが、韓国側が行政裁判所に撤去撤回を申請したため、日韓両国の少女像に関するやり取りは裁判所の審議が終わるまで、休戦に入った。
日韓メディアはベルリンの少女像の動向を大きく報道しているが、北朝鮮の朝鮮中央通信が15日付で、ベルリンの「少女像」に言及し、「歴史は否定してもなくならず、歪曲しても変わらない」と指摘し、「鉄面皮の醜態」と日本を非難したという(韓国聨合ニュース)。ベルリンの「少女像」の建立問題は、ドイツ、韓国、日本、そして北朝鮮まで巻き込んだ外交戦の様相を深めている。
話はベルリンから米国ニューヨークのマンハッタンに飛ぶ。マンハッタン南部で突然、裸体の女性像が現れた。像の女性は手に剣を、もう一つの手には男性の頭部を持って立っている。非常に攻撃的な像だ。そして像はハリウッドの女優たちを性的虐待してきた米国映画界の実力者プロデューサーのハ―ヴェイ・ワインスタイン氏の裁判が開かれた裁判所前に建てられたことから、像建立の理由も見えてくる。「女性像」を創ったアルゼンチンの芸術家 Luciano Garbati氏は「#MeToo運動のシンボルとして製造した」と説明している。
「女性像」のモチーフは明らかにギリシャ神話からのもので、裸体の女性はメドゥーサ(Medusa)だが、手には切り落としたばかりのペルセウス(Perseus)の頭部を持っている。
同像が建立されると、予想されたことだが、各地から批判の声が出てきている。例えば「メドゥーサを暴行した ポセイドーン(Poseidon)の頭部のほうが#MeToo運動にはマッチしている。どうしてペルセウスの頭部を持っているのか」といった頭部の出自から、「女性像は作者が2008年に製造したものだ。#MeToo運動の前に作られたものをどうして今、#MeToo運動のシンボルに選んだのか」といった像建立者側の意図への疑問を呈する声も出ている。
外電によると、「メドゥーサ像」から少し離れたところにもう一つの像が建てられたという。フランシスカ・カブリニ(Franziska Xaviera Cabrini)という「修道女の像」だ。イタリアから移民した修道女は移民のために献身的に歩み、1946年には米国で初めて列聖を受けた女性だ。アンドリュー・クオモ・ニューヨーク州知事の立会いのもと、像の除幕式が行われた。
ここでは問題は「修道女の像」ではなく、その像の立役者となったクオモ州知事とニューヨーク市のビル・デブラシオ市長の間にいがみ合いがあることだ。クオモ州知事とデブラシオ市長は共にイタリア系で民主党所属の政治家だが、両者の関係は久しく険悪化してきた。ニューヨークを舞台に2人の政治家、州知事と市長が像の建立でも争っているというのだ。ちなみに、同修道女はデブラシオ市長の建立したい「女性像」の候補リストには入っていなかったという。
「話」をベルリンの「少女像」に戻す。「少女像」にある碑文には「第2次世界大戦当時、旧日本軍がアジア・太平洋全域で女性たちを性奴隷として強制的に連行していた」などと記述されている。それを知った日本側はベルリン側に抗議し、ベルリン市ミッテ区当局は日韓の歴史問題に関わることを良しとせず、「少女像」の撤去を韓国側に要請した。それで一件落着とはならず、「少女像」の責任「在独韓国協会」がベルリンの行政裁判所に撤去撤回要求を提出したため、「少女像」問題は延長戦に入ったわけだ。
このコラム欄でも書いたが、「少女像」の建立は韓国側が2015年12月に日本との間で合意した内容を完全に無視したものであり、「少女像」は一方的な歴史観で反日感情を海外に拡大するプロパガンダの手段に利用されていることは明白だ。それに対し、韓国側は「迫害される世界の女性の権利を擁護するため」と弁明している(「『憎悪』は新型コロナウイルスより怖い」2020年10月15日参考)。
いずれにしても、ベルリンの「少女像」、ニューヨーク市の「メドゥーサ像」と「修道女像」は全て「女性像」であること、像の建立の背後には「女性の権利」の保護といった綺麗ごとは名目に過ぎず、様々な政治的アピールが込められている点で酷似している。
ところで、公道や公共場所に建立される像といえば、これまで「男性像」が圧倒的に多かったが、女性の社会への進出を受け、歴史に貢献した女性の像を建立しようとする動きが出てきたことは自然の流れだろう。
実際、「女性像」自体は珍しくない。「聖母マリアの像」や仏教の観音さま(男性説もある)があるが、それらは主に宗教的な背景に基づいている。例えば、「聖コロナ像」についてはこのコラム欄でも紹介した。
新型コロナウイルスの「コロナ」はラテン語から由来しているが、その「コロナ」という名の女性が西暦2世紀ごろ、迫害されるキリスト者を鼓舞し、救ったということで後日「聖コロナ」と呼ばれるようになった。その「聖コロナ」像がドイツやオーストリアの教会で建立されている(「新型コロナ」vs「聖コロナ」)2020年4月21日参考)。
ただし、最近の「女性像」のように政治的アピールや特定のイデオロギー絡みの像は過去、ほとんどなかった。その点、21世紀の「女性像」建立ブームは稀な社会現象と言えるわけだ。
米国では今年に入り、人種差別抗議デモが多発しているが、植民地時代、黒人奴隷の取引をしていた人物の像が壊されたばかりだ。イギリス西部の湾岸都市ブリストルでは奴隷取引業者、エドワード・コルストン(1636~1721年)の像が倒されている。
前世紀を振り返ると、旧ソ連・東欧の共産主義政権の崩壊によって、世界各地のレーニン像が破壊され、中東の独裁者イラクのフセイン大統領の像も同じ運命を迎えている。建立後、久しく国民から支持され、慕われる像は少ない。忘れられるか、破壊されるケースが多い。
ちなみに、スロベニアから初めて米国大統領のファーストレデイとなったメラニア夫人の木像が故郷セブニツァで建てられたが、今年7月5日未明、何者かに燃やされるという不祥事が起きた(同国はその直後、放火に耐えられる銅像を新たに建立している)。
ここで読者とともに考えたいテーマは、「世界各地で『女性像』が次々と誕生することは幸せな社会の到来を意味するのだろうか」だ。過去の時代には英雄だった人間が犯罪人のように受け取られ、その像が破壊されるという現象が起きている。キリスト教会の一部では、天で「男性神」と「女性神」の戦いが始まっているという。それでは地の「女性像」建立ブームは、女性の勝利が近いことを意味するのだろうか。
いずれにしても、「女性像」建立ブームは、時代が男性主導時代から女性の時代に移行してきたことを示していると受け取るべきかもしれない。
しかし(像の建立に意味があるとすれば)、最も願わしいシナリオは、「男性像」と「女性像」が並んだ像の建立ブームの到来ではないか。「男性像」が破壊され、「女性像」が建立される現代の「女性像」建立ブームには違和感だけではなく、一抹の不安を感じるのだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年10月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。