日本学術会議任命問題、“甘利氏のブログ記述対応”で感じる「空恐ろしさ」

「任命見送り問題」に端を発した、日本学術会議をめぐる問題について、【「日本学術会議任命見送り問題」と「黒川検事長定年延長問題」に共通する構図】で、

黒川氏の定年後勤務延長問題の事後的正当化のための検察庁法改正案国会提出が、安倍政権にとって大きな打撃になったのと同様に、発足したばかりの菅政権にとって、政権の基盤を崩壊させかねない重大なリスクに発展する可能性がある。

と指摘した。

その後、学術会議側やマスコミ、野党から「任命見送り」の理由の説明を強く求められても、政府側は、「総合的、俯瞰的な視野で判断した」と述べるだけで、具体的な説明を全く行わず、任命見送りの判断に「公安、警備系警察官僚出身」の杉田和博官房副長官が深く関わっていたことが明らかになるなど、その判断が、政府に批判的な研究者を排除する政治的目的で行われた疑いが一層高まっている。

甘利ブログ記述の訂正と「傲慢」発言

甘利氏(Johnson/flickr)

一方、この問題が表明化した直後から、日本学術会議の在り方に対する批判が、自民党の有力政治家、保守派論客や、いわゆる「ネット右翼」から湧き上がり、自民党では下村博文政調会長が、塩谷立元文科大臣を座長とする「学術会議の在り方を検討するプロジェクトチーム」を立ち上げた。

このような「日本学術会議批判」の大きな原動力になっていたのが、今年8月に、自民党税制調査会長の甘利明氏の「中国千人計画に積極的に協力している」として日本学術会議を批判した自らの公式ブログでの記述であった。

任命見送り問題表面化以降、SNS等で拡散され、日本学術会議に批判的な世論醸成につながったが、「積極的協力している」との記述には根拠がないと指摘されるや、甘利氏は、何の注記もなく、密かにブログ記述を書き換え、そのことを【バズフィードジャパン「適切でないとしたら…」自民・甘利議員、学術会議の「千人計画」めぐるブログ書き換えを釈明】で指摘されると、直後に、ブログを再び更新して、新たな記事を追加し、「表現が適切でないとしたら改めさせて頂きます」と記述した。

そして、報道陣の取材に応じ、「私にはそう(学術会議が千人計画に協力しているように)見えたが、それが適切でないというならば、そう見えるという風に訂正した」と釈明し、一方で、学術会議側への謝罪はなく、「権威主義国家との研究協力は相当慎重にやってもらわなければ、日本国民のリスクになる」と持論を展開した(朝日【自民・甘利氏、ブログに記述「学術会議は中国に積極協力」指摘受け修正「間接協力にならないか」】)。

また、この取材の際、自身の「最新のブログ」を読まず、書き換えの趣旨を質問した記者に対し、「無責任」などと激昂する場面もあったという。(【FNNプライムオンライン】)

記者側が、会見直前に、取材対象のブログを再度チェックしなかったとしても、それは取材のためにどのような準備をするのかという記者側で判断する事柄である。自らの口で説明責任を果たさず、ブログでの釈明の積極的な周知もしていないのに、記者の側を「無責任」と言い立てるのは、傲慢そのものである。

甘利氏「ブログ説明」で「真実性の証明」は可能か

拙稿【日本学術会議任命「首相決裁文書」の内容は?甘利氏ブログ記事修正の“姑息さ”】で述べたように、名誉棄損罪の客体となる「人」には、「法人格なき社団」なども含まれる。日本学術会議は、国の機関ではあるが、独自の名誉権があると認められれば、同会議を客体とする「名誉棄損」が成立する可能性がある。

刑法230条の2は、名誉棄損罪について真実性の証明による免責を認めており、他人の名誉を毀損するような発言があった場合でも、それが、公益性・公共性のあるものであり、真実であることの証明がある場合(「真実性の証明」)、あるいは、真実性を証明できなかった場合でも、確実な資料・根拠に基づいて事実を真実と誤信した場合(「真実と信じるに相当な理由」)には、免責される。

甘利氏は、「積極的に協力」とした根拠について、公式ブログで、

1)アメリカが警告している様に、中国の千人計画は世界中の一流学者の経験と知識を厚遇で中国が吸い取る計画であること

2)日本からこの計画に何人もの学者が招聘されていること

3)中国は軍民融合宣言で民事と軍事を融合させ、民事研究を軍事に貢献させることを強いることで先端科学研究を安全保障の基軸に据えていること

4)そうした中で日本学術会議は2015年に中国の科学技術協会と協力の覚書を交わし、日中の研究者の受け入れについて学術会議が、「本覚書の範囲内で推薦された研究者を、通常の慣行に従って受入れ、研究プログラムの調整や、現地サポートの対応を行う」と積極的な約束をしたこと

5)その一方で、防衛装備庁の科学技術研究費への申請を各大学の自主性に任せるとしながら、実質的にはそれへの不参加を強く要請したこと

6)(我が国の国民を守るための)安全保障研究には歯止めをかけながら、日本のリスクになる中国の千人計画には何ら警鐘を鳴らしていないばかりか、研究者の交流について積極的にサポートすると約束したこと。つまり日本の公的機関でありながら対日本と対中国との対応の落差を指摘したかった

と述べている。

しかし、仮に、千人計画で日本の研究成果が中国に流出するリスクがあるとしても、学術会議として警鐘を鳴らすべきであったとの意見を述べる理由になるというだけだ。警鐘を鳴らさなかったという不作為と、「積極的に協力」という姿勢・行為との間には隔たりがあり、「積極的に協力している」とのブログ発言を正当化する理由になるものではない。

このような甘利氏の説明は、ブログ訂正後の記述のように、「間接的に協力しているように映る」とはいえても、当初のブログの「積極的に協力している」との記述を正当化する根拠には全くならない。甘利氏のブログでの説明の範囲では、「真実性の証明」も、「真実と信じるに相当な理由」の説明も可能とは思えない。

「甘利氏ブログ記述」による重大な影響

しかも、甘利氏のブログ記事には、日本会議が「積極的に協力している」とする「千人計画」は「研究者には千人計画への参加を厳秘にする事を条件付けています」と書かれており、「千人計画」が、中国側が隠密裏に行う「スパイ的活動」であるかのような印象を与えるものだった。

甘利氏がブログ記事を公開したのは8月6日であったが、学術会議問題の初報が出た翌日の10月2日に、「5ちゃんねる」「アノニマスポスト」などに引用されて一気に拡散、翌3日には、「千人計画」というキーワードは一時トレンド入りするなどしており、

「アノニマスポスト」などの記事が出た10月2日までゼロだったツイートがその後、一気に増えていることから、世論醸成のきっかけになっていることは明白

と指摘されている(【(バズフィードジャパン)学術会議めぐり広がる大量の誤情報、まとめサイトが影響力。政治家やメディアも加担】)。

甘利氏の投稿が、学術会議の社会的評価が大きく低下させるものであることは明らかであり、「真実性の証明」ができないのであれば、甘利氏の法的責任は重いと言わざるを得ない。

甘利氏は政治家としての「説明責任」を免れられない

一方の日本学術会議側は、10月16日、梶田隆章会長が、首相官邸で菅義偉首相と初めて会談したうえで、「未来志向」で行くことを表明しており、実際に学術会議が甘利氏に対して名誉棄損の法的責任を追及する可能性は高くはない状況になりつつある。

しかし、上記のように、“重い法的責任を問われ得る”ような言動について、政治家として、その道義的責任・政治的責任は避けられない。しかも、甘利氏は、2012年に、自身の原発対応を批判する放送を行ったテレビ東京や記者などを相手取り、損害賠償と謝罪放送を求めて提訴し、勝訴しており、名誉棄損の責任の重さは十二分に理解しているはずである。

URの土地買収問題についての口利き・現金受領疑惑の際は、説明責任を全く果たさなかった甘利氏だが、今度こそ、自分の口で納得のいく説明を行うべきであり、それができないのであれば、政治的責任を取るべきなのではないだろうか。

「千人計画」での学術会議批判の誤謬と飛躍

また、甘利氏をはじめ、今回、学術会議を巡り“誤情報”を拡散している人の多くが、「学術会議」と「千人計画」、「千人計画」と「中国の軍事研究」を結び付け、学術会議を中国の軍事研究に協力する売国奴のように仕立て上げようとしているが、そこには大きな誤謬と飛躍がある。

【(毎日)中国の研究者招致「千人計画」当事者の思い 「学術会議が協力」情報拡散の背景は】では、千人計画に参加した日本人研究者は、「千人計画=軍事研究をしている」というイメージを明確に否定している。

仮に、千人計画について、甘利氏が上記1)から3)で指摘しているように、千人計画と中国の軍事研究の関係性が否定しきれないとしても、千人計画に日本人研究者が参加することが特定の機関の協力によるものとは決めつけるには飛躍がある。根本的な問題は、日本の研究者にとっての研究環境の劣悪さであり、それが研究者の海外流出につながり、その行き先の一つが中国だと見ることもできる。

ニューズウィーク日本版【千人計画で「流出」する日本人研究者、彼らはなぜ中国へ行くのか】でも指摘されているように、日本人研究者の海外流出の主原因は、海外における高度な研究環境と、日本国内における研究者の就職難があり、中国はその流出先の一つに過ぎない。

私の事務所でも、日本の大学・研究機関の通報窓口業務や、アンケート業務を受託しているが、そこでも、研究不正の構造的問題として、研究費の慢性的な不足や、翌年ゼロになる不安、成果重視の傾向からくる、ポスドクなど若手へのプレッシャーなどが指摘され、それが不正の動機となっている可能性が指摘されており、不十分な研究環境、研究者の就職難があることは明らかであった。

10月14日のABEMA TIMESでは、「日本全体が“千人計画”に協力していたようなもの。学術会議を悪者にしても解決しない」との議論があり、病理専門医で科学・技術ウオッチャーの榎木英介氏は

研究者にとって中国が魅力的だというのは理解できる。今の日本の若手研究者の悲惨な状況を考えれば、オファーされたら行っちゃうんじゃないかなというくらいの待遇だ。そのくらい、日本の環境は不安定だし、もっと言えばポストが無い。それなのに、倫理観だけで行くのを止めろというのはどうだろうか。若手研究者の待遇の問題も、いわば安全保障の一つではないか

と話し、海外流出を防ぐため、研究環境の改善が急務だと訴えていた。研究者の世界の現状を踏まえた見解として傾聴すべきであろう。

甘利氏の意見は、日本の学術研究を発展させていくための研究環境の問題を認識しその改善を図る政治の責任などの本質的な問題を無視し、日本の研究者の海外流出のうち「中国への流出」だけを「千人計画」に関係づけて問題にし、「積極的協力」などという話を根拠もなく作り上げて、日本学術会議に批判の矛先を向けようとするものである。名誉棄損以前の問題として、議論の方向性自体に根本的な問題がある。

菅政権・自民党の対応で感じる「空恐ろしさ」

日本学術会議は、かつては「学者の国会」などとも言われたようだが、現在は、学者の世界を代表するような存在ではなく、多くの研究者にとっては、「存在自体にあまり関心がない」というのが正直なところのようだ。ましてや、その学術会議の在り方に関心を持つ国民は少ないし、また、私を含め多くの国民は、「軍事目的のための科学研究を行わない」という日本学術会議の理念をあらゆる科学研究において徹底することを全面的に支持するものではない。

しかし、業績や研究成果が認められた研究者の組織に対して、国が、国の方針に反対の意見を述べたからとの理由で排除すること、しかも、そのような理由で排除したとしか考えられないにもかかわらず、その理由を明言しないという国の対応は到底看過できない。

一方で、国会で絶対多数を占める与党側が、任命排除への国民の批判を交わすべく、その組織運営に対する批判や、組織の在り方の見直しを開始し、その中心となる有力政治家が、批判的な世論を煽るべく事実無根の批判記事をブログ、SNSで拡散させ、その内容が事実無根であることを指摘されても、開き直り、反省も謝罪もせず、尊大な態度で、マスコミの追及も抑え込もうとする、こういうやり方が、政府・与党の間で、何一つ問題にされずにまかり通っている。

そういった与党・有力政治家の姿こそが、戦前、学者の世界で多様な意見が封殺され、政党は「大政翼賛会」に一元化され、戦争に向かおうとする国に批判的な意見が軍靴の音にかき消されていった忌まわしい歴史を想起させ、「空恐ろしさ」を感じるのである。

そういう感覚を、我々は失ってはならないと思う。