中国武漢発「新型コロナウイルス」は全世界で猛威を振るっているが、欧州では第2波の真っ最中で、多くの国が部分的、ないしは全面的なロックダウン(都市封鎖)を実施中だ。新型コロナは世界のこれまでの国家、社会の秩序を悉く混乱させ、国民はまだ見えてこない不透明な未来に対して不安と焦燥感を抱いている。
そのような中、一部の経済学者、社会学者はコロナ禍を「創造的破壊」と受け取り、新しい世界秩序の建設を主張し、知識人の中には過去の大恐慌などを例に挙げ、現在が「グレート・リセット」(Great Reset)の時だと主張している。
この考えは決して新しいものではない。欧州の政治家たちは新型コロナへの規制措置を公表する度に、「ポスト・コロナ時代は今までの生き方はできない。新しい生き方を模索しなければならない」と語ってきた。表現こそ異なるが、新しい生き方とは、世界の新しい秩序を意味し、歴史的な「グレート・リセット」の到来を告げていることになるわけだ。
「グレート・リセット」という表現は米国の社会学者リチャード・フロリダの著作名であり、来年開催を予定している世界経済フォーラム(ダボス会議)の主要テーマともなっている内容だ。既成の経済、社会システムがもはや機能できず、新しい経済システム、社会体制を構築しなければならない状況を表現したもので、「株式資本主義」から「ステークホルダー資本主義」へ移行すると主張する経済学者もいる。18、19世紀から始まった産業革命は農業から工業へと移動し、今はイノベーションの時代に入った。新しい経済システムの構築すべき時を迎えているというのだ。
「グレート・リセット」という考えは新型コロナの感染が直接の契機となっている。covid-19は私たちのこれまでの生活システム、経済・社会メカニズムを停滞させ、国民経済の経済成長は停滞する一方、公的債務は最高レベルに達し、世界的財政赤字は巨大化し、失業者は増加している。現行の経済体制ではこの危機を乗り越えられないといった状況に対峙している。
卑近な例でいえば、これまで早朝、満員の電車に乗って会社に通っていた人が自宅のホーム・オフィスで働くようになった。ホーム・オフィスが定着すれば、「会社」というこれまでのイメージは大きく変わるだろう。
もちろん、「グレート・リセット」は経済、政治、社会分野だけではなく、文化、宗教分野でもみられる。教会は新型コロナ感染の防止のために教会内での礼拝を中止し、信者たちは教会ではなく、家庭で礼拝するようになってきた。教会中心の信仰生活から家庭礼拝へ移行しているわけだ。
ローマ教皇フランシスコは今年の復活祭の記念礼拝を僅かな信者だけで挙行したが、信者のいないサンピエトロ広場で祈った教皇は「何か言い知れない不気味さを感じた」と述懐していた。南米出身のフランシスコ教皇は多分、その時、歴史の歯車が動く音を聞いたのではないか。
参考までに、当方は宗教のグレート・リセットを「教会信仰」から聖書などの「経典信仰」、そして最終的には個々の「良心信仰」へ移行していくと考えている。その行き着く先は「宗教の必要のない世界」だ。ちなみに、ドイツの著名な神学者オイゲン・ドレヴェルマン氏によると、アダムとエバばかりか、その息子カインとアベルを失った神は、堕落の血統の少ないセツを立て、その息子エノスの代から自分を求めていく「宗教」をたてたと主張している(「『宗教』はいつから始まったか」2018年9月17日参考)。
世界で新型コロナ感染者数は11月17日現在、5500万人を超え、死者数は130万人以上だ。近代の精神分析学の道を開いたジークムント・フロイト(1856~1939年)は愛娘ソフィーを伝染病のスペイン風邪で亡くした時、その苦悩を後日、「運命の、意味のない野蛮な行為」と評した。「グレート・リセット」派の論客は新型コロナの災禍を「創造的破壊」(経済学者シュンペーター)と捉え、来るべき世界へ思いを寄せているわけだ。
新約聖書「マタイによる福音書」9章17節には「新しい葡萄酒を古い革袋に入れれば、革袋は張り裂け、酒が流れ、革袋もむだになる」という内容の聖句がある。「グレート・リセット」の時、古い考えに囚われれば、新しい考えをダメにしてしまう危険性があるのは間違いないだろう。
新旧の秩序の移行時、葛藤や混乱が生じやすい。「グレート・リセット」論の背後に労働者の天国を標榜して登場した共産主義の影を感じて警戒する人も少なくない。「貧富の格差」是正を叫び、地球温暖化の防止を叫ぶ人々の中には、「グレート・リセット」論を理想社会が実現する時代の到来と楽観的に考えている。
最後に、ステレオの「リセット」のボタンを押せば、計器は「ゼロ」に戻る。それでは「グレート・リセット」が戻る出発点「ゼロ」とはどのような状況であろうか。「リセット」ボタンを押しても「ゼロ」に戻らず、途中で止まっていることも考えられるだろうか。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年11月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。