ローマ・カトリック教会の最高指導者ローマ教皇フランシスコはサンピエトロ広場での礼拝で、「パンデミックはクリスマスの光を消すことは出来ない」と強調した。バチカン・ニュースが6日、報じた。
同広場にはスロベニア南部から運ばれたクリスマスツリーが建てられ、イエスの生誕を物語るクリッペが作られている。バチカンだけではない。欧州の各地でクリスマスツリーが飾られ、クリッペが置かれている。欧州の家々でもそうだろう。
フランシスコ教皇は、「クリスマスの雰囲気は、子供たちばかりか、大人たちにも喜びを与えてくれている。特に、厳しい状況を迎えている今日、希望でもある。ただし、クリスマスを楽しむだけではなく、その意味を理解しなければならない。救い主イエスの誕生であり、神の愛の表現だ。如何なるパンデミックやクライス(危機)もその光を消すことはできない」と繰り返し述べた。
クリスマスは復活祭(イースター)と共にキリスト教会の二大祭日だ。前者はイエスが生誕したこと、後者は十字架で亡くなった後、3日後に蘇ったことを祝う日だ。中国武漢発の新型コロナウイルスが世界に感染を拡大した今年、カトリック教会の総本山、13億人以上の信者を抱えるバチカンでは、その2大祭日を世界から多くの信者を迎えて祝うことは出来ない。長い教会史の中でも体験したことがない非常事態だ。
バチカンの2020年の復活祭は「信者のいない復活祭」となったことはこのコラム欄でも報告した。バチカンでは毎年、サンピエトロ広場に信者を迎えて記念礼拝が行われ、ローマ教皇が世界に向かって「ウルビ・エト・オルビ」の祝福を発することが慣例となってきた。
今年はローマ教皇がサンピエトロ大聖堂内で儀典長グイド・マリーニ神父や数人の枢機卿、司教だけが参加した中で行った。もちろん、初めてのことだ。バチカン広報担当関係者が大聖堂内の復活祭の様子をビデオで撮り、それを世界の信者たちに配信した。
フランシスコ教皇は4月12日の復活祭の記念礼拝では、悲観主義に陥らないように注意を促す一方、「希望は単なる楽観主義ではない。イエスが死を乗り越え、復活したことに希望があるのだ」と述べていた。そのフランシスコ教皇は後日、「サンピエトロ広場で復活祭の祈りを捧げたが、信者のいない、シーンとした広場から表現のできない静けさと共に、不気味さすら感じた」と述懐している。それは、羊たちを突然見失った羊飼いの戸惑いだったのかもしれない。
そして今年、クリスマスを迎える。バチカンは復活祭と同じく、信者たちを迎えて共に祝うことはない。フランシスコ教皇と関係者、選ばれた信者たちだけの小規模な祭日となる。各国の教会でも新型コロナ規制に基づいた小規模なクリスマスとなる予定だ。
以上はバチカンの事情だ。換言すれば、「羊飼いの事情」だ。それでは「羊たちの事情」はどうだろうか。カトリック教国オーストリアから少し紹介する。
オーストリアでは6日まで第2ロックダウン(都市封鎖)が実施されてきた。7日から営業活動も再開する。多くの人々はクリスマス・プレゼントを買うために奔走している。若い世代はオンライン・ショッピングで家人、友人への贈物を探す。それ以外は再開したショッピングモールに出かける。一方、店側も閉鎖のため失った売上げを少しでも補うために割引セールをしてお客を呼ぶ。国民の動きに活気が戻ってきたが、同時に、再び新規感染者数が増えるのではないか、といった不安が伴う。
クルツ首相は国民に「規律」を呼び掛けている。新規感染者数が6日、ようやく2000人台に減少してきた時だ。規制明けで感染が再び増加する危険性は排除できない。残念ながら、クルツ首相のアピールは「砂漠での叫び」のようで、聞く者は余りいないのが現状だろう。
復活祭の時でもそうだったが、多くの国民は教会の事情には関心を持っていない。簡単に言えば、どうでもいいのだ。クりスマスの時は家族と共に談笑し、プレゼントの交換をしたいだけだ。クリスマス市場ではプンシュが欠かせられない飲み物、ワインやラム酒に砂糖やシナモンを混ぜて温めた飲み物だ。
しかし、クリスマス市場が今年は開かれないので、自宅で作って楽しむ人々が多くなるかもしれない。時間があれば、国営放送から流れるバチカンのクリスマス礼拝に耳を傾ける家庭もあるだろう。多くの国民は可能な限りでクリスマスの雰囲気を失わないように努力しているわけだ。
少々、辛辣な表現となるが、多くの羊たちは羊飼いの懸念を共有していない。一方、羊飼いは新型コロナ感染で職を失ったり、経済的に困窮下にある羊たちの事情には疎い。労働者の家庭の中には「給料日の10日前には冷蔵庫の中が空になる」所もあるという。しかし、仕事があればまだいい。年末に職を失った家庭は大変だ。
夕方になると多くの家で電気がつく。昔は夜遅くまで電気がついていない家が結構多かったが、新型コロナの外出規制もあって多くの人々は家にいて夕方には電気を点ける。外からその風景を見れば、家族団らんの様子を想像するかもしれないが、やはりここでも事情は違う。
外出規制で行く場所がない上、将来のことを考えて心細い人が少なくない。夫婦喧嘩も起きるだろう。独り住まいの高齢者の中には、訪れる人もなく、電気代の節約のために暖房を抑えながら生きている人がいる。もちろん、どの時代でも同じだが、羽振りのいい人は買物に出かけるが、そうではない人は家に籠っている。
「パンデミックはクリスマスの光を消すことが出来ない」というフランシス教皇の言葉は素晴らしい。ただし、その光を享受できる人々は限られており、その光が届かない人々は少なくないのだ。
新型コロナ時代、その「明暗」がクリスマスの光を受けていやが上でも浮かび上がってくる。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年12月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。