米民主党のジョー・バイデン氏(78)が20日、第46代米国大統領に就任した。60年前、ジョン・F・ケネディ(1961~63年)以来の2番目のカトリック信者の米大統領だ。バチカンでも新大統領の動向に大きな関心と期待を寄せている。
独週刊誌シュピーゲルは2019年10月12日号で当時米大統領候補者だったバイデン氏を「米国のヨブ」(Amerikanischer Hiob)と名付けて報じたことがある。ヨブは旧約聖書「ヨブ記」の主人公だ。信仰深いヨブはその土地の名士として栄えていた。神は悪魔に「見ろ、ヨブの信仰を」と自慢すると、悪魔は神に「当たり前ですよ、あなたがヨブを祝福し、恵みを与えたからです」と答えた。そこで神は「家族、家畜、財産を奪ったとしてもヨブの信仰は変わらない」というと、悪魔はヨブから一つ一つ神の祝福を奪っていった。紆余曲折はあったが、ヨブは最後まで信仰を守り、神から祝福を再び得るという話だ。
独誌はバイデン氏の人生をそのヨブの話に投射して報じたわけだ。バイデン氏は29歳で上院議員に初当選した直後、妻と娘を交通事故で失い、2人の息子だけとなった。長男(ジョセフ・ロビネット・ボー・バイデン)は優秀でバイデン氏は自分の後継者と期待した矢先、脳腫瘍で2015年に亡くなった。残されたのは2番目の息子(ロバート・ハンター・バイデン)だけとなった。
バイデン氏の人生は不幸が続く。オバマ前大統領の下、8年間、副大統領を務め、次期大統領に立候補する考えだったが、オバマ氏はバイデン氏ではなく、ヒラリー・クリントン女史を支援した。オバマ氏を友人と信頼してきたバイデン氏はショックを受けた、といった具合だ。そして米国のヨブ=バイデン氏は今回、78歳で米大統領に選出された(「人は『運命』に操られているのか」2019年10月20日参考)。
バイデン氏は昨年11月7日、デラウェア州ウィルミントン市での勝利宣言の中で、「今は癒しの時だ。トランプ政権下で分裂した米社会の新しい出発をもたらしたい。米国民は素晴らしい。わが国の歴史で、国民が一体化すれば実現できなかったことはなかった」と指摘、国民に結束を呼び掛けた。
そして勝利演説の終わりになって、「選挙戦、頭の中で教会の歌が常に蘇ってくるんだ。その歌は自分や家族にも、特に亡くなった息子ボーにとって大切な歌なんだ。その教会の歌は自分の、そして全ての米国人の信仰のエッセンスを歌っているのだ」という。
その歌とは、“ On Eagle’s Wings”(鷲の翼に乗って)だ。カトリック神父だったマイケル・ジョンカス氏が1976年、聖書の詩編にインスピレーションを受けて書いたものだ。5年前、亡くなったボーの葬儀の時、当時副大統領だったバイデン氏は告別ミサで歌った。バイデン氏が人生の中で最も苦しかった時に出会った歌だ。
汝は空高く鷲の翼の上に導かれ、夜明けの刹那に太陽の如く輝き、神の御手に抱かれる
アイルランド移民の家族の中で育ったバイデン氏は後日、「自分の信仰はその時期、深まっていった」と告白している。「神は苦しい時、自分を守ってくれた」という確信だ。そして「新型コロナウイルスで20万人以上の国民が亡くなった。その家族、関係者もこの歌が同じように癒しをもたらしてくれることを願う」と述べて、勝利宣言の演説を終えている。
バチカンニュースはケネディが初のカトリック信者の米大統領に選出された時のことを報じている。米国民には当時、「大統領はローマ教皇の命令に従わざるを得なくなるのではないか」といった懸念の声があった。米国とローマとの関係は現在のような正常な関係ではなかった。両国が完全な外交関係を樹立したのは1984年だ。ケネディは就任式に「神が愛する祖国を導くだろう。我々は神の加護と祝福を願うが、この地上では我々が神の業を実行しなければならない」と語っている。
ケネディ時代とバイデン氏の時代では異なる。米国とバチカンの関係は問題ないが、米カトリック教会内でバイデン氏のカトリック信仰について様々な批判の声が聞こえる。「教会に定期的に通う実践信者のバイデン氏は同性婚に反対せず、中絶問題でも個人的には反対しているというが、連邦最高裁の判断に異議を唱えなかった」といった批判の声が教会内で囁かれているのだ。
バチカンニュースは昨年11月8日、「ケネディは当時、米カトリック教会の全面的支持を得ていたが、バイデン氏の場合、米国社会と同様,米教会は二分化している」と報じている。実際、昨年11月の大統領選では、米カトリック信者の52%はバイデン氏に、48%はトランプ氏に投票したという結果が明らかになっている。
ちなみに、米国のイエズス会系私立名門「フォーダム大学」の宗教文化センターのダビド・ギブソン所長は、「米国の信者は中絶問題や同性愛問題では教会のドグマと自身の信念の間に溝が広がっている。バイデン氏は教会の多数の信者の側に立っている」と説明する。
米国の建国神話を思い出す。彼らは神の名で国を建国するという明確な理想をもち、全ての人の命を守り、信仰の自由を保障する国の建設に取り組んできた。米国は今日、世界最強国家となり、世界最大の富を誇っている。その米国で貧富の格差が広がり、肌の色が違うということだけで人種差別が行われている。そして大統領選を通じてバイデン氏の足元、米国カトリック教会でも同じように二分化が進んでいる。
バイデン氏は、「祖父を訪ねると、彼はいつも自分に『信仰を守れ』といった。しかし祖母は『そうではない。信仰を広めよ、広めるんだよ』と自分に語った」というエピソードを明らかにしている(バチカンニュース1月18日)。
新大統領を取り巻く世界情勢は多くの難問に覆われている。新型コロナ感染への対策、イラン、北朝鮮の核問題、地球温暖化対策、中国の覇権主義への対応などが控えている。それらの課題は深刻であり、早急な対応が求められている。人生で厳しかった時、「鷲の翼に乗って」に励まされてきた78歳の新大統領はそれらの難問に挑戦する。公平で正しい判断が下せるように、祈ろう。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年1月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。