苦労人バイデン大統領の恩返し:傷ついたアメリカを癒せるか

鎌田 慈央

2020年の後遺症に喘ぐアメリカ

「癒すためには、私たちは覚えておかなければならない。覚えておくことは時には難しい。しかし、そうやって私たちは癒されるのだ。そして、それを国が一体となって行うことが重要である。」

バイデン大統領 Twitterより

バイデン大統領は就任式前に行われたコロナウイルスによって命を落とした犠牲者を追悼する式典で、このように述べた。
昨年から引き続き、アメリカは現在進行形でコロナウイルスの猛威によって深刻な被害を被っている。失業率は2020年3月時点の数字よりは改善しているものの、依然として国内の経済活動に制約がかかった状態であるため、6.7%と高いままである。また、死者は40万人を超え、一部の報道によると来月中にその数が50万まで増えると想定されている。アメリカ人の多くは先行きに対する不安、そして、愛する者を失った苦しみから立ち直れずにいる。

2020年はウィルスによって急速に私生活が制限されていくことに対するフラストレーション、ジョージ・フロイド氏が警察の過剰暴力でなくなったことがかけ合わさり、全米に人種差別反対の動きが広がった。ウイルスはアメリカが長らく克服しえなかった問題に再び火をつけ、人種間の対立を煽り、社会の分断を助長した。

それに加え、大統領選挙の年だった昨年は、激化する党派間の対立に拍車が掛かった一年でもあった。自らの陣営にアピールするため、共和党、民主党は誹謗中傷合戦を繰り返し、候補者のレトリックは過激化した。第一回テレビ討論会の混沌具合、登壇した大統領候補それぞれの性格、信条の大きな違いはアメリカ社会の政治的分断の酷さを露呈させた。そして、政治的分断は暴力という形で議会占拠事件にまで発展した。

間違いなく、2020年という年は人種、信条、性別関係なく、あらゆるアメリカ人にとって、身体的、精神的にも傷を負った年となった。文字通り、アメリカは「癒し」の時間を必要としている。

そして、皮肉にも、そのような波乱の年を経験し、未だに後遺症に喘ぐアメリカは、まるでバイデン大統領の半生を反映しているようにも見える。

 傷と共に歩んできた人生

 バイデン大統領は苦労人であると評されることが多い。幼いころは吃音症の影響で言葉がうまく話せず、いじめられた経験があり、政治家としてのキャリアをスタートさせたと同時に愛する妻のネリアさんと娘のナオミさんを交通事故で亡くし、彼の伝記を書いたエバンオスノス氏によると一時は自分の命を絶つことが頭をよぎったそうである。

また、幼いころからの夢であった、大統領になるための挑戦は1988年、2008年と二回失敗しており、出馬が期待された2016年も最愛の息子のボーバイデン氏の死去によって選挙どころではなく、息子の死を悼むことを優先した。そして、トランプ大統領が2017年のシャーロットビル事件の際に白人至上主義者を糾弾しなかったことに怒りを覚え、アメリカの魂を取り戻すというスローガンの下で2020年の民主党候補の座を取ることを決意した。しかし、大統領候補の座を掛けた民主党の予備選の討論会の場では、対抗馬たちからは守旧派だと罵倒され、民主党内で台頭する左派の勢いに押され、一時期は予備選からの撤退もささやかれた。

現在のアメリカのように、バイデン氏は深く傷ついてきた。だが、バイデン氏は自分に降りかかってきた災難を一つずつ乗り越えて、自分が被った傷の数々を癒しながら今に至る。何がそれを可能にしたのか?

 なにが彼を癒したのか?

ひとつめの理由は、彼の人間力である。彼の選挙活動を取り仕切ったウィルヘルム氏によると、バイデンは野心的かつ並外れた共感力を兼ね備えた稀有な政治家だという。幼い頃に死に物狂いで吃音症を克服した経験が、自分に自信を与え、29歳の若さで上院議員として出馬するための野心を育み、苦難に負けない忍耐強さを彼に与えた。

加えて、家族の多くに先立たれた苦しみが、彼を他人の苦しみに対して敏感な人物にし、その災難によって得られた並外れた共感能力が、親しみやすさ、憎めないといった彼の評価を形成している。

また、彼の性格だけではなく、彼が人生のほとんどを過ごしたアメリカ上院、そしてそれを構成する上院議員たちの支えもあって、バイデンは大きな傷を癒すことができた。

上院議員に当選した直後に彼は人生の絶頂とどん底を経験した。夢である大統領の道に向けて順調な道を歩み始め、それを支えてくれる家族がいた状況が、上述の交通事故によって一変した。精神的な打撃を受け、バイデン氏は残された二人息子のことを考え、せっかく手に入れた上院議員の座を手放そうとした。

しかし、上院が一体となって彼の翻意を促した。上院では満場一致の決議に基づいた特別措置として、入院していたバイデン氏がワシントンではなく、息子二人が居た病院で宣誓式を行うことが許可された。そして、当時の上院院内総務であったマンスフィールド氏は積極的にバイデン氏にポストを与え、仕事を通じて傷を癒すよう励ました。それもあってか、バイデン氏は水を得た魚のようになり、政治の世界に没頭し、歴代で18番目に長い上院のキャリアを築いたことから分かるように、政治が彼の生きがいとなった。

自分だけの力ではなく、ある意味ではアメリカ政治そのものが彼を生かし、癒したと言えるのかもしれない。

 アメリカへの恩返し

現在、彼を癒したアメリカ政治は冒頭部分で述べたように、深く傷つき、憎しみで溢れている。そして、およそ半分近いアメリカ人が彼の大統領としての正統性に疑問符を抱いている。その中でバイデン大統領は国を癒していく方向に進めていかなければならない。

就任式で述べたように、「魂を入れて」分断された国家を修復するというバイデン大統領。彼なりのアメリカ政治への恩返しが、始まろうとしている。