14世紀、欧州全土を席巻したペストで「欧州人の約3分の1が亡くなった」といわれるほど大きな犠牲をもたらした。スイスのフライブルク大学の歴史学教授、フォルカー・ラインハルト氏(66)によると、ペスト(別名「黒死病」)は中国から運ばれ、欧州全土に広がっていったという。中国武漢で発生した新型コロナウイルスは昨年、習近平国家主席が提唱した新シルクロードを経由して欧州のイタリア北部で最初に大感染していったことを思い出す時、不思議な歴史の繰り返しを感じざるを得ない。
独週刊誌シュピーゲル(1月16日号)はラインハルト教授をインタビューしている。同教授は今年1月、「感染症のパワー、大ペストが世界をどのように変えたか」という新著を出したばかりだ。写真を含む6頁に及ぶインタビュー記事の中で、同教授はペストが欧州人の生き方に刻印した影響を説明する一方、「ペストや新型コロナ感染などの疫病が人類の歴史を大きく変えることはない」と主張している。
欧州で最初にペストの大感染が生じたのは1347年、イタリアのシチリアに停泊していたジェノバのガレー船でだった。船はその前にはウクライナのクリミア半島の黒海沿岸の湾岸都市Caffa(現代のフェオドシヤ)に停泊していた。そこはジェノバの貿易業者の拠点だった。
「ペストが発生した時、そこに住んでいた異邦人、クリミア・タタール人の仕業だといわれ、シチリアではメッシーナ市民がぺストを運んできたといわれた。人は想定外の悪いことが起きると、その原因を外に探そうとするものだ。欧州ではフランスやドイツでペストの疫病をユダヤ人の仕業としてユダヤ人狩りが多く発生した」という。
ペストの「中国発生説」については、「生物考古学者が掘り起こした遺骨を検証した結果から明らかになった事実だ。中国と欧州の間では通商が盛んだった。中国からシルクロードを経由してペストが伝わった。ペストで何人の中国人が亡くなったのかという詳細な情報は当時、欧州には伝わっていなかった。新型コロナ感染のように、武漢の状況が世界全土に即通信された現代社会とは事情が異なっていた」という。
イタリア歴史を専門とする同教授によると、「イタリア北部、フィレンツェ市、ミラノ市、ヴェネツィア市、ジェノバ市は当時、既に人口10万都市で欧州の世界貿易の拠点だった。例えば、ペスト前に人口約12万人だったフィレンツェ市は1427年の人口調査では3万7048人へと激減している。同市は当時、手を洗うなどの衛生規制、物価の高騰を防ぐために価格規制や教会の鐘を禁止するなど対応に乗り出していた」という。
ちなみに、船舶は40日間の隔離期間後、ヴェネツィアに錨を下ろすことができた。40日間という隔離期間の導入もその時決められた。その「隔離」を意味する英語 quarantine はイタリアの「40」を意味するクアランタ(quaranta)を語源としている(「新型肺炎と『聖書の世界』を結ぶ数字」2020年4月9日参考)。
ところで、新型コロナウイルス(covid-19)が欧州で最初にイタリア北部を中心に感染が爆発的に拡がった時、その理由として、ミラノなどイタリア北部では中国との商いをする会社が集中している点が指摘された。
covid-19の最大感染国となったイタリアの北部ロンバルディア州は中国企業との関係が深い自治体として知られている。イタリアは先進主要7カ国(G7)の中でも中国の習近平国家主席が提唱した新シルクロード「一帯一路」に最初に参加を表明した国だ。その中でロンバルディア州の代表的産業都市ミラノ市には中国から多くの企業が進出している。モード産業では中国が廉価の布、安価な労働力をイタリア側に輸出し、最近では国内生産のために多くの中国人がロンバルディア州内で働いている。中国共産党政権が新型コロナの感染発生を数カ月間、隠ぺいしていた間、イタリアと中国との間の人的交流を通じて新型コロナが広がっていったわけだ(「『武漢肺炎』と独伊『感染自治体』の関係」2020年3月20日参考)。
ペストは決してソフトな死をもたらさない。苦痛と苦悩の死をもたらす。同教授は、「ペストに関する多くの報告があったが、そのトラウマから解放されるために書いた著者が多かった。一種の自己テラピーのようなものだ」という。スペイン風邪を体験した近代の精神分析学の道を開いたジークムント・フロイト(1856~1939年)は愛娘ソフィーを伝染病のスペイン風邪で亡くしたが、その時の体験、苦悩を後日、「運命の、意味のない野蛮な行為」と評したという話を思い出した。
ラインハルト教授は、「歴史学者は悪い予言者だ。ポスト・コロナはコロナ前とは違うだろうが、感染症が人類の歴史に決定的な変化をもたらしたことはない」と断言する。すなわち、「人間はポスト・コロナに入って高貴になり、利他的になったり、逆に、悪くなり、自己中心的になったりはしない」という。
音楽の都ウィーン市1区のグラーベンにペスト記念柱(Pestsaule)が建立されている。欧州各地で同じようなペスト記念柱が見られる。欧州全土を何度かペストが襲い、無数の人々が犠牲となった。それを慰霊する柱だ。そして今、中国から新シルクロードを経由して新型コロナウイルスが欧州全土を覆っている。欧州だけでも約70万人が亡くなっている。ペストとコロナの不気味な一致点が浮かび上がってくるのだ。
ラインハルト教授は、「歴史は人生の教師ではない。未来について教訓を提供するものではない。新型コロナもワクチン接種が進めば、その捉え方も変わるだろう。50年後、新型コロナ感染が人類を大きく変えた出来事だったか否かが明らかになるだろう」と述べている。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年1月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。