東京新聞は、2021年1月26日の「選択的夫婦別姓制度を求めて」との記事で、旧姓の併用は煩雑であるとして、選択的夫婦別姓制度の必要性を述べた。選択的夫婦別姓制度については、これまでにも様々な場面で意見が交わされているが、「選択的」や「別姓」の意味はともかく、「夫婦」の定義がないがしろにされているため、議論が混乱しているように見受けられる。「別姓制度」を論じる前に、「夫婦」が法的にどのように定義されているのかを、まず明確にしなければならないはずである。
民法をあたってみたところ、第750条に夫婦の用語が出てくるが、「夫婦は婚姻の際に定めるところに従い夫又は妻の氏を称する」と、夫婦同氏の原則を定めているだけである。また民法第739条は「婚姻は戸籍法の定めるところにより届け出ることによってその効力を生ずる」としている。「出生」や「死亡」は医学的に説明が可能で、その届出の意味ははっきりと分かるが、「婚姻の届出」が意味するところはなんなのか、これらだけでは分からない。そこで、人は婚姻にどのような「効力」を見出しているのかをイメージし、三項目に分解した上で、選択的夫婦別姓制度の必要性を検討する。
第一に、「戸籍法に基づく届出を経て、同一戸籍に入ることが婚姻の効力だ」という前提に立つと、「同一戸籍に入った上で、別氏を名乗ることができる制度が必要」という論理になるが、民法第750条や戸籍法を改定してまで、別姓で同一戸籍に入る目的が私には分からない。「戸籍に対するこだわりがないので、家を単位とする戸籍を廃止し、個人単位の制度に置き換えるべきだ」という意見であれば理解するが、「戸籍制度を堅持したまま別姓制度を取り入れたい」という意見であれば、入籍の効用が想像できず、まったく賛同できない。
第二に、そうではなくて、「挙式し、同居し、子を設け、互いに扶助することなどが、婚姻の目的なのだ」という立場を取るなら、必ずしも婚姻届を提出する必要がない。扶養義務を明らかにするため、子の身分関係については出生届に明記すべきだが、大人同士の関係については、行政としても管理する必然性がない。別姓で夫婦となりたい場合や、また、異性間ではなく同性間で夫婦となりたい場合なども、行政を説得する必要は特に無いので、届出など放念し、お互いの法的義務は個人の間で契約書などに記載すれば良いだけである。
第三に、婚姻とは「税制などの優遇を受けることができる届出の一種だから経済的メリットこそが重要だ」という立場をとるなら、たしかに「同氏を名乗るか別氏を名乗るかとは無関係に優遇を受けたい」という意見は理解できる。しかし、そのように考えるなら、民法第750条や戸籍法ではなく、税制や助成などにおける制度上の仕組みの方(例えば相続税や所得税の控除について)の見直しを求めるべきである。
私は、夫婦同氏制度が前提としている、家を単位とした戸籍制度の方に、そもそも無理があると感じている。人間は家族の性質とは無関係に固有の人格を備えているので、行政としては、家を単位とする戸籍から個人単位の制度に将来的には置き換えるべきだし、また税制についても相続税や贈与税を整理し、扶養控除を見直さなくてはならない。さらに扶助義務を記載する私的な契約書のひな形を提供しても良い。これらを実装した上で、婚姻届については純粋に氏を配偶者と同じものへと変更するためだけの届出として再定義すれば、選択的夫婦別姓制度について議論するまでもなくなると考えるが、現時点では、まずは国において、婚姻届の効力を明確に説明すべく議論が進むことを期待する。
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川口 賢(かわぐち・まさる) 神戸市議会議員(日本維新の会)、JAPAN MENSA運営委員
1981年神戸生まれ。2004年神戸大学経済学部卒業後、日本語教師、眼鏡販売会社社員を経て、2019年神戸市会議員選挙(灘区選挙区)において初当選。現在1期目。