ミャンマーで軍がクーデーターを起こし、同国大統領や実質的な指導者、アウンサンスーチー氏が拘束されました。これを受け、西側諸国は一斉に軍の行動を非難しており、アメリカは「行動を起こす時」と述べています。日本は反応が非常に遅く、政権の鈍重な動きに一部から批判が上がっています。
さて、ミャンマー問題について私はこのブログの15年11月15日付「今週のつぶやき」で「正直申し上げると(アウンサンスーチー)氏は今後、かなり厳しい局面を迎えるとみています」と書かせて頂いています。また17年9月15日付ではロヒンギャ問題に直面する氏の対応ぶりに厳しい指摘をさせて頂きました。
ミャンマーにおいて誰を支持するのか、難しい選択があるのだと思います。確かに長く続いた軍の統制の時代から民主化が進み2015年に国民民主連盟(NLD)が政権を奪取したことは世界で大きく報じられました。建国の父であるアウンサンの娘、アウンサウンスーチー氏は民主化運動でNLDを1988年に作りますが、89年に軟禁、その後、長く厳しい人生を歩んだのち、91年にノーベル平和賞を受賞したほか、様々な国や市、大学などから名誉称号を与えられ、ミャンマーにおける輝かしいカリスマとして君臨してきました。
ところがNLD政権の第一期(2015-20)の成果は正直、非常に不調であったと言わざるを得ません。経済も他の東南アジア諸国に比べ伸びに欠き、内政も引き続き混乱、おまけに17年にロヒンギャ問題で世界が再びミャンマーに目を向けるわけです。ところがアウンスーチー氏は十分な施策が出来ません。
結局人材育成が進まず、ミャンマー=アウンサンスーチーという等式から脱却できなかったことは正直、国内外共に彼女に期待を寄せすぎだったともいえないでしょうか?その中で昨年、総選挙が行われ、国政が計画通り進捗しなかったNLDは得票を落とすかと思いきや、前回よりも伸ばしたことで野党であり軍部が「不正選挙」と叫んだわけです。
結局、第二期目が始まるところを狙って軍部がクーデターを引き起こし、再び混迷の度合いが深まったというのが現時点の状況をかいつまんでみた感じでしょうか?私の2015年のブログの内容がそのまま当たってしまっています。
そもそもアウンサンスーチー氏も今年75歳になるわけで国政から本来であれば一歩引き、後継を育てることに専念するなど、任せることが必要だったはずです。が、あまりにも強いカリスマ性と知名度が逆にミャンマーの民主化に混乱の拍車をかけたと思っています。
問題は軍部が掌握すれば中国がスーッと寄り添う点でしょう。日本企業は400社以上進出しており、歴史的にも日本とは深い関わりがありますが、菅総理のコメントが非常に遅かったのは日本外交とアピアランスや影響力の低下そのものであります。
この問題はミャンマーの内政を安定するよう機能させ、外資の導入による弾みをつける流れがベストであります。軍部が掌握しても隣国タイも同様の流れを汲んでいることから軍がクーデターをしたから民主主義にならない、あるいは経済が中国の影響下に流されるというものもないはずです。ただ、アメリカにしても行動を起こす、と言いますが、具体的に何ができるのか、その手段は限られ、それが失敗すれば中国の思惑通りになります。取り組み方を間違えれば共産主義膨張と対峙し合う前線化となり、神経質な動きとなる気がします。
世界の主要国が声明を出していますが、個人的にはビルマ人とそれ以外の少数民族という典型的な内内政問題を抱え、相当難しい問題であることは間違いないと思います。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年2月2日の記事より転載させていただきました。