変わる芸能界、どこに向かうのだろう。

2021年02月07日 14:00

あまり得手な話題ではないのですが、産経の「テレビ局依存、終焉の兆し オフィスの売却・移転・縮小相次ぐ芸能界」という記事を読み、芸能の世界とビジネスがどう展開していくのか、考えてみたいと思います。

demaerre/iStock

芸能は音楽、映画、大衆演芸から舞踊や演劇を含め多種多様、その歴史も含め、語りつくせないものだと思います。そのポピュラリティは時代と共に変化してきたのですが、地殻変動第一波はやはり、ラジオ、テレビ時代の幕開けだったともいます。

いわゆるマス娯楽とはなるべく多くの人が共通して楽しめる演芸を放送網を駆使し、ラジオ、テレビという受信機を通じて全国隅々まで伝えることで最大公約数的な番組作りになっていたと認識しています。萩本欽一さんなどはその代表的存在でしょう。また、昔は一家にテレビが一台しかないので昼間の再放送のメロドラマはお母さんの時間、午後6時から8時は子供のマンガの時間、11時15分になったら大橋巨泉の11PMを見るお父さんの時間といった具合でした。

ところがテレビの普及とともに一家に複数台テレビが普通となり、家族が各自の部屋でバラバラにテレビを見るようになるとテレビ局はどの年層向けに番組作りをするか、という課題にあたりますが、お父さんは会社から帰ってこないので除外し、お母さんと子供が楽しめる歌番組やお笑いが全盛期となります。

問題はここからです。テレビ局も総力戦で24時間テレビだ、いや27時間だと奇抜なアイディアを次々と出すもののインターネットの普及とともに明らかに息切れします。するとギャラの安いお笑い芸人を多用化、素人さんがでるクイズ番組や歌自慢番組も増えます。しかし、テレビ退潮のトレンドは止まりません。

そもそも東京ですら地上波は主要7チャンネルしかないのに、民放はテレ東を除き、似たような番組を似たような時間にもってきます。4つの民放がレッドオーシャンじゃないのにわざわざレッドオーシャン化させてしまっているのです。結局その背景はプロダクションや番組制作会社、芸能事務所などの見えない力で恣意的な番組作りとなっていた可能性は否定できないと思うのです。

ここにきてYouTubeの影響がまず出ます。芸能人が次々と事務所を辞め、独立してユーチューバーになり、稼ぎ始めます。しかし、これは地殻変動第二波の第一幕だと思うのです。次に何が起きるか、といえば大素人時代の幕開けだと思うのです。

芸能の意味とは「芸術の分野において人間をもって表現する技法」(ウィキ)とあります。プロの芸人はさすがと思わせる能力をお持ちで、例えば私の好きな明石家さんまさんなんてどうやってあれだけのトークができるのか、ビジネストークに転用できないかといつも思っているぐらいなのです。

しかし、SNSがテキストから写真、そして動画や音声と一般人に「カミングアウトするきっかけ」を作り続けたことで1億総芸能人時代がやってくることもアリだと思うのです。我々が昔、飲み会で「一芸」を披露したように人間誰でもへぇー、という才能があるもので、それをSNSに乗せればプロが「うまくできて当たり前」という視点から「そもそも期待値が低い素人さん」の爆笑度ははるかに大きなものになりやすいのではないでしょうか?

もちろん、素人さんの一芸は一芸であって継続性がありません。プロはやはり、いつみてもそれを本職とするだけに近寄れない才能を持っているのです。俳優やアーティストには独特のオーラがあるというのは住む世界がそもそも違うという意味でもあるのです。

最後に、これだけ世の中に大衆芸能の選択肢が増えている中で、人々の日々の生活がより忙しくなるとテレビの前に1時間座っていることは難しい時代になっています。多くの現役層はテレビを見ないのではなく、見る暇がなく、遅い番組進行と数多くのCMにいちいち付き合えず、後で違法でもいいからネット配信で余計なところを飛ばしてみるのが効率的になってしまったのです。

フィットネスをするときの音楽を最近、久々にユーロビートの寄せ集め集にしたところ、「あぁこれだわ」と気が付いたことがあります。サビのメロディアスなところだけを1分半から2分ごとに次々と他の曲につないでいくことでフィットネスには実に聞きやすいパッケージだと改めて感じました。

つまり一つを楽しむのは1-2分が限界になってきたとも言えるのでしょう。これも時代の変化です。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年2月7日の記事より転載させていただきました。

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