ヒトゲノム配列解読から20周年:ゲノムで医療は変わる

2021年02月14日 06:00

Nature誌が「ヒトゲノム配列解読」20周年記念特集をしている。20年前、日本のゲノム研究には追い風が吹いていた。その後、ゲノム研究は氷河期に突入し、ゲノム医療にも大きく後れを取っている。

metamorworks/iStock

ヒトゲノム解析計画がスタートしたのは、さらにさかのぼる1990年だった。私はユタ大学での留学から日本に戻って1年目だった。1984年に留学して1989年に戻るまでの5年間、ヒトゲノム解析計画が始まる胎動期であった。この20周年を機に、ヒトゲノムの重要性を改めて訴えたい。

とは言いながら、先週のある会議での私の発言に対して、「全ゲノム解析の重要性がわかっていないのか」と私に非難に近い発言を浴びせかけた研究者がいた。唖然・呆然としたが、あまりの発言に、「私はこの会議に参加している誰よりも長くゲノム研究をしている。ゲノムの重要性は誰よりも理解しているつもりだ。しかし、ゲノム解析をする以上、目の前の患者さんに何ができるのかを考えるべきではないのか」と一言付け加えざるを得なかった。

20年前ならともかく、がんのゲノム解析をする以上、患者さんへの還元を想定していないことなど、私には容認できないのだ。これまでの議論は、研究者がゲノムデータをどのように集め、論文を書くためにどのように条件を確保するのか、どのようにして企業を含めた共同研究を支配するのかといった、研究論文と企業との共同研究のための整備に終始されていた。

このような研究者間での考え方のずれは、1990年に日本がヒトゲノム解析計画に参加することを打診された時から続いている。1990年にヒトゲノム計画が打ち出されたとき、米国での中心は米国人類遺伝学会にあった。バイデン大統領の科学政策の責任者となったエリック・ランダ―博士、NIH長官のフランシス・コリンズ博士や私は、駆け出しの研究者だった。彼らを始め、ケンブリッジ大学のブルース・ポンダー博士、ジョンス・ホプキンス大学のバート・ボーゲルシュタイン博士などの多くのゲノム・がん研究者と知己を得たのは、5年間のユタ大学留学中の財産でもある。

話を戻すと、ヒトゲノム計画のゴールは人の病気の解明と治せない病気を治せるようにすることにあった。しかし、なぜか、「人」が「ヒト」となり、生物学者の知的好奇心を追い求める研究分野と解釈されて輸入された。本来は、その研究分野の将来のインパクトを推測し、必要な分野は国策として取り組むべきなのだが、そうならなかった。今でもそうだが、自分たちの研究分野の利権を侵害されそうになると理屈をつけて潰そうとする。国家戦略なき科学政策は国から未来を奪う。コロナ対策は科学なき対策だからなおさら始末が悪い。

PCRも病気のゲノム診断を簡便化、迅速化するために開発された技術だ。日本が生き延びるためには、高齢化社会・医療福祉財政・費用対効果を考えたゲノム医療が欠かせない。


編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2021年2月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。

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医学者、内閣府SIPディレクター

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