頻発する官製の入札不正について

官製談合防止法違反の摘発が相次いでいる。ニュースで検索をかけるとほぼ毎日のように官製談合防止法違反事件の記事が出てくる。昨日、今日も(2021年2月13、14日)も、京都・南丹市幹部摘発の報道があった。まるで、全国で摘発キャンペーンが行われているかのようである。

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予定価格を聞き出すといった情報漏洩の事件が目立つ。業者側を刑法上の公契約関係競売入札妨害罪で摘発し、それに応じた発注機関職員を官製談合防止法違反で摘発するというのが典型だ。入札談合への関与のケースもあるが、多くは特定の業者が抜け駆け的に発注機関職員と癒着し、入札で有利になろうとするものだ。官製談合防止法の正式名称は「入札談合等関与行為の排除及び防止並びに職員による入札等の公正を害すべき行為の処罰に関する法律」だ。官製談合防止法という略称が、「また談合か」と思わせるので、ややミスリーディングのような気はする。官公庁では官製談合防止法とは呼ばずに、「入札談合等関与行為防止法」と慎重な言い回しをするが、大した違いはない。「等」というエクスキューズがあるだけだ(そこが役人にとって重要なのだが)。

ただ入札談合もいまだに根強く残っている地域も少なくない、というのが筆者の見立てである。いまだに「談合がないと業界が疲弊する」「地方が疲弊する」などという言い訳を聞くことがある。「地域の災害対応の担い手がいなくなる」という深刻な事情も確かにある。

過去に、記者から談合業者に対する指名停止について問われ、一定期間指名停止にするがその期間は発注それ自体をしないと答えた首長がいたのを思い出す。業界の保護が先にあるのだ。そしてその首長はそう発言したとしても自分への有権者からの支持が崩れない、という空気を感じ取っていたのであろう。それが一部地方の現状なのかもしれない。この調子では談合がなくなる訳がない。

談合金の授受のような事情がない限り、言い換えれば単なる談合は刑法の談合罪には抵触しない、という地裁判決が出たのが昭和43年だった。最高裁判決の考え方とは食い違っていたが、そのまま控訴されずに確定してしまった。以降、単なる談合はセーフという今では考えられない法実務が半ば暗黙の了解になってしまった。独占禁止法の適用も低調だった。談合に対する厳格な態度を法がとり始めたのは平成に入ってからである。その背景には日米構造協議という「外圧」があった。

平成17年の、課徴金減免制度が導入されるなどの独占禁止法の大改正のタイミングで、大手ゼネコンは共同で「談合決別宣言」を出した。正確には「(談合を含む)旧来のしきたりとの決別宣言」である。何が「旧来のしきたり」なのかは、話すと長くなる。興味がある方は是非、拙著『公共調達と競争政策の法的構造(第2版)』(上智大学出版、2017年)をお読みいただきたい。筆者は「談合擁護論者」ではまったくないが、なぜ談合が長い間「必要悪」などといわれてきたのかを理解することは重要だ。

一部の談合体質が残っている地域は、このタイミングでの「切り替え」に失敗した。いや、そもそも切り替えるつもり自体がなかったようにも思われる。大手ゼネコンが決別宣言を出せた背景には、公共工事品質確保法という法律が上記の独占禁止法改正と同時に制定されたことがある。この法律では、公共工事は価格だけではなく技術や経験を重視して「優良な業者」に発注するべきことが宣言されている。価格だけの競争の下で価格を調整する談合は止めにして、品質をめぐる厳しい競い合いを通じて勝ち残った業者が透明でドライな契約を締結する。「不透明な貸し借りは今後一切なしだ」という宣言なのである。

しかし、地方は国とは事情が異なった。特に中小の地方公共団体はそうである。そもそも価格以外の要素を総合的に勘案するような手の込んだ入札方式を実施するだけの余裕がない。「貸し借り」がなければ回る工事も回らない。地元では官も民も皆、顔見知りだ。ドライな契約など相互不信を招くだけだ。そんな空気が強いのだろう。

そういう状況に理解のある地方公共団体の幹部は、極めてリスキーな立場に置かれている。確認しておきたいのは、競争入札を採用した以上、その手続に反することは競争の侵害と評価される妨害行為に該当する可能性があるということだ。当局に自分たちの事情を斟酌してもらおうなどとは期待しない方がよい。裁判所も同様だ。競争入札を採用しておいて、それと矛盾する行為をした以上、それは有権者、納税者に対する裏切り行為だ。ただの癒着のようにしか見えず、誰も相手にしてくれはしない。救いようのない癒着、腐敗のケースも実際、たくさんあり、それらと同列にしか見られないのだ。