迷惑系ユーチューバーが照らす社会の闇

川畑 一樹

迷惑系ユーチューバーとは

反社会的行動を繰り返し、それをYoutubeにアップロードするいわゆる迷惑系ユーチューバー。一番有名なのは昨年騒ぎになったへずまりゅうだろう。彼は動画内で反社会的行動を繰り返し、最終的には威力業務妨害や窃盗などの容疑で逮捕された。このほかにも迷惑系ユーチューバーは多数存在する。

Anatoliy Sizov/iStock

ここでは迷惑系ユーチューバーの例として、ユーチューバーのA(仮名)をあげたい。Aは投げ銭や同情目当てでうつ病や糖尿病になったと自称する、twitterで脱税をにおわせる発言をした直後に動画で「毎月法人税や相続税を払っている」と発言する、睡眠薬で昏睡状態に陥った女性に暴行を加えたことを笑いながら紹介するなど数々の反社会的行為を行ってきた。

反社会的行為が露呈するたびにAの動画やtwitterは炎上したが、Aは今もなお動画投稿を続けている。なぜAのような動画投稿者が後を絶たないのか。筆者はYoutubeのシステムと他者意識の欠落があると考えている。

再生数やチャンネル登録者数により評価されるYoutube

一つ目は再生数やチャンネル登録者数により評価されるYoutubeのシステムである。この際、動画の質も多少は考慮されるが、再生数やチャンネル登録者数よりも評価に占めるウェイトが小さい。加えて、普通の品行方正な動画を投稿するより、人々の反感を買い炎上するような動画を投稿したほうが再生数を稼ぎやすいという現状がある。例示したAの動画も1動画につき1万回以上再生されたものが大部分を占めているが、これだけ再生数を稼ぐユーチューバーもそう多くはない。

Youtubeは動画視聴の際に流れる広告収入により成り立っているが、Youtube側にとっても動画の再生数が多いほど広告収入を稼げるという事情がある。これらのことを勘案した場合、普通の品行方正な動画より、反感を買い炎上する動画を投稿したほうが評価されてしまうといえる。ただし、Youtube側としても動画のクオリティコントロールは行いたいという意識があるということは留意する必要があるだろう。

他者意識の決定的な欠落

二つ目は他者意識、特に「視聴者や関係者が動画を見てどのように感じるのか」という意識の欠落である。例えばAは反社会的な動画を頻繁にアップロードする一方で、Aのことを「もっと褒めろ」「もっと同情しろ」「かわいそうだと思え」という内容の動画も複数回アップロードしている。ここから読み取れるのは「自分の感覚と他人(=視聴者)の感覚は同じである」という、自分の感覚への妄信である。そしてそこには、自分と考えや価値観が異なる他者が存在する余地はない。

特に迷惑系ユーチューバーの場合、思想信条もエビデンスもなく、自分が目立ちたいという理由だけで反社会的行為に走ることが多い。そこには自身の行動の結果として被害を受けたり不愉快に感じたりする他者の存在がそもそも想像できていない、あるいは想定できていたとしてもあえて無視するなど、他者意識が著しく欠落していることが多いと考えられる。

ただし、動画の内容に思想信条などが絡む場合、異なる他者を想定したとしても動画内で自分の意見を主張することで、視聴者との間で軋轢が発生することは往々にして起こりうる。そういう動画と迷惑系ユーチューバーの動画は明確に区別しなくてはならない。

家庭環境と反社会的行為

他者意識に関してもっというならば、迷惑系ユーチューバーは適切に他者意識を涵養できないまま育った可能性も考えられる。数か月前Aの親に話を聞く機会に恵まれたが、親はAがYoutubeで反社会的な内容の動画をアップロードしていることに対し「私たち家族はAの好きにさせてあげたい」「AがYoutubeで元気を取り戻して親としても安堵している」「AはYoutubeのおかげで成長できた」という旨の発言をしていた。そこにはAの行為の結果被害を受けたり迷惑に思ったりする他者の存在がまるで欠落していた。

もちろん、Aの親を責めるつもりは毛頭ない。Aの反社会的行為によりAの親も多大な迷惑を被っている。しかしそれでもAの親の話を聞くにつけ、Aは他者意識を涵養できる機会に恵まれたのだろうかと疑問符がついた。他者意識を涵養するには学校教育ももちろん重要だが、家庭教育も重要である。その家庭で他者意識を涵養する機会がないのなら、今後も迷惑系ユーチューバーが量産され続けることだろう。

どうすれば迷惑系ユーチューバーを減らせるか

最後に迷惑系ユーチューバーを減らすにはどうすればよいかについて述べたい。ベストなのは他者意識を涵養する教育を行うことである。しかしゼロトレランス教育に対する風当たりの強さなど、迷惑行為に寛容になることが美徳として扱われる現代社会においては、そもそも他者の迷惑を鑑みたうえで行動するといった他者意識を涵養する教育が成り立つのかという点で疑問が残る。

Youtube側に対策を求めるにしても、動画の再生数が大きな指標となっている以上、構造的に迷惑系ユーチューバーを排除できるかどうかは怪しい。結局ユーザー一人一人が迷惑系ユーチューバーの動画を再生しない、あるいは迷惑系ユーチューバーの相手をしないということが現状唯一の対策となりうるだろう。へずまりゅうやAのような迷惑系ユーチューバーを減らすためには、視聴者一人一人の心掛けが必要なのかもしれない。