世界の株高が止まりません。昨年の3月中旬を底にした株価の回復には目を見張るどころか驚きに近いものがありますが、しかし なぜか、80年代後半のバブルに浮いた感じがしません。そりゃ、コロナ禍の中、誰が浮足立てるのかとか、実態は明暗色々で全体としては決して良くないなど様々な意見はあるでしょう。
私が見る一筋の光明とはコロナからの回復がもちろん前提ですが、実はその先が面白くなってきたのです。そこに現在の株高があるのかもしれません。
2020年代はまだ先が長いのですが、この10年は産業革命的な変化が起こりえるとみています。現在は第四次産業革命とも五次とも言われます。個人的には第一次から第三次ぐらいまでは理解できるのですが、第四次と第五次については違和感があるのです。
第三次は機械化とコンピューターの黎明期で生産性が飛躍したこととされ、1970年代からを指します。第四次がAI、IoTといったテクノロジーの進化系ではありますが、私はいわゆる「進化系」は産業革命ではないと考えています。「革命」なのですから完全にギアが変わるものであるべきです。とすると世間一般は第四次とか第五次産業革命と言っていますが、実は今はまだ、第三次の延長ではないかともいえるのです。
では私が思う20年代の革命的変化とは何か、と言えば脱炭素化ではないかと考えています。
実は過去の産業革命には資源やエネルギーが必ず背景にあります。第一次は石炭、第二次は石油です。第三次は原子力だったのかもしれません。では第四次の資源とはそれらを否定し、非化石燃料化することであり、そもそも地殻変動的変化だと考えられます。その背景は第一次から第三次までの資源費消に対する反省であり、それには環境問題も含まれるでしょう。
そう考えると電気自動車は付随的発展と言ってよいと思います。EVは自動車業界がリードしたのではなく、世論の後押しで自動車製造メーカーが舵を切らざるを得なくなったのです。
また第三次革命のコンピューターの黎明期が躍動期に入るとすればデジタルトランスフォーメーション(DX)、クルマの自動運転があがりますが、もう一つ大きな革命はマネーだとみています。紙幣の在り方が変わる、また政府発行の通貨が変わるかもしれないとみています。今話題のビットコインなど暗号通貨は通貨を表現するVehicle(乗り物)の一種であってそれ自体は大した問題ではなく、何でもよいのです。重要なのは、マネーの価値基準が変質化するのではないかという気がするのです。
まず政府が発行し保証するという思想が崩れるかもしれません。それに代わり企業や地域が通貨を発行するかもしれません。人々は国家という枠組みからより狭い地域を一つの共同体として捉えるようになり、無数の小社会が生まれるとしたらどうでしょうか?
私のこの考えは思想的に破綻していると思われるかもしれません。しかし、今の膨張するマネーで破綻するのは国家が先です。しかも誰もそれを支えられないのです。小社会が発生すると考える理由は物流、情報、マネーにおいて地球の中で地域の特性なく、どこでも均一にサービスを受けられる社会が生まれつつあるからで別に国家ベースでモノを語らなくてもよくなるのです。
わかりやすい例で言えば東京に住んでいる人が新宿と銀座の両方にあまり行かないのはなぜかと言えば行く必要がないからです。多くのサービスはどちらの街ででもほぼ均等に受けられます。これが大宮でも仙台でも札幌でも同じになり、更にそれより小さな都市でもそうなれば人々の日常生活の範囲はより狭くなるのです。
何やらSF小説のようになってきましたが、我々は今、そんな社会への入口に立っているように見えます。株高は新しい社会に対応する産業や企業にスポットが当たり、淘汰が始める前兆かもしれません。社会の基盤が変われば人々はお金を使わざるを得なくなります。これで経済は廻るでしょう。
人々は近距離は自動運転のEVに乗り、中距離は空飛ぶタクシー、そして長距離移動はハイパーループで移動となれば理論上、空気抵抗がないので時速1000キロで移動可能になります。リニアも真っ青でしょう。しかもその多くはインフラコストが少ないのです。これはアメリカなどで維持管理ができなくなりつつある高速道路や社会インフラが主要路線から二次的利用になるかもしれない可能性すらあるのです。
このような社会が一筋の光明としてちらっと見えてきたのが今日この頃だと考えれば夢も膨らみ、株も高くなる、というものです。
どうでしょうか、これが私の株高理論であります。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年2月25日の記事より転載させていただきました。