ドイツの作曲家ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685~1750年)は「音楽の父」と呼ばれている。そのバッハはローマ・カトリック教会最高指導者フランシスコ教皇が不安に襲われた時、心の平静を取り戻す役割を果たしているという。モーツァルトの音楽は妊婦の胎教にいい影響を与えるということは聞いたことがあったが、バッハの音楽が世界13億人以上の信者を有する世界最大のキリスト教会のローマ教皇の精神安定に寄与しているとは知らなかった。
不安は現代病だ。多くの現代人は不安恐怖症、不安によるパニック発作などに悩まされているが、ローマ教皇も例外ではなかったわけだ。これを知って心が落ち着いた信者もいるだろう。フランシスコ教皇も我々と同じように抑えきれない不安に悩まされてきたわけだ。
人は不安の発作に襲われた時は精神安定剤や薬草のティーなどを飲むが、アルゼンチン出身のフランシスコ教皇はバッハの音楽に耳を傾ければ心が落ち着くという。その違いだけだ。バッハの音楽は教皇にとってヒーリングミュージックというわけだ。フランシスコ教皇のお気に入りのバッハの曲は「アヴェ・マリア」や教会のミサ曲かもしれない。とにかく、大バッハとよばれ、1000曲以上の曲を作曲した文字通りの「音楽の父」だ。
フランシスコ教皇が不安恐怖症に悩まされたことがあった、という話は、教皇の出身国アルゼンチンの医者であり、ジャーナリストのネストア・カストロ(Nestor Castoro)氏が2019年、フランシスコ教皇をインタビューした際、教皇自身が語ったもので、同氏が先月27日、アルゼンチンの日刊紙「ラ・ナシオン」のオンライン会見の中で明らかにした内容だ。
カストロ氏によると、1時間余りのインタビューの中で、フランシスコ教皇は、21歳の時に肺手術を行ったこと、不安恐怖症に悩まされていたことなどを語ったという。フランシスコ教皇は「焦るような切羽詰まった思いに襲われた」という。しかし、教皇は今日、自身の不安を抑える術を学んできた。教皇は、「不安を鎮めるいろいろな方法があるが、一つはバッハの音楽を聴くことだ、心が落ち着く」というのだ。
フランシスコン教皇が不安に悩まされ始めたのはアルゼンチンの軍事政権時代という。当時若いイエズス会の聖職者だったフランシスコ教皇は車の中に軍事政権から逃れる国民を隠し、軍の監視ポストを通過しなければならない時、不安に襲われたという。その恐怖感、不安がその後も残り、何か重大な決定を下さなければならない時などに襲ってきたというのだ。一種の心的外傷後ストレス障害(PTSD)だ。
そのほか、フランシスコ教皇と同氏とのインタビューの中で興味を引いた発言は、フランシスコ教皇が、「自分は教皇として死ぬか、生前退位した後に死ぬかは別として、ローマで死にたい」と話し、「母国に帰るつもりはない」と述べている箇所だ。
フランシスコ教皇がベネディクト16世(在位2005~13年2月末)と同様、生前退位を考えていることはこのコラム欄でも紹介した。フランシスコ教皇は昨年12月17日に84歳になった。76歳の時にペテロの後継者、ローマ教皇に選出されてから約8年が経過した。フランシスコ教皇は就任直後、「私も死ぬまで教皇の座にいる考えはない」と語り、体力が弱り、職務の遂行に支障が生じたら、ベネディクト16世と同様、潔く退位する可能性があることを示唆したが、教皇就任直後ということもあって、誰もフランシスコ教皇のこの発言を深刻に受け取らなかった(「84歳の高齢教皇は生前退位を考える」2021年1月11日)。
バチカンからの情報では、膝が悪い以外はフランシスコ教皇の健康に現時点では問題ないが、体力の衰えは隠しようがない。そのうえ、イタリアでは昨年から新型コロナウイルス感染の危険にもさらされている。フランシスコ教皇の主治医が新型コロナに感染して死亡したばかりだ。ちなみに、フランシスコ教皇は先日、ワクチンを接種している。
なお、フランシスコ教皇は今月5日から4日間のイラク訪問を予定している。過去にイラクを訪問したローマ教皇はいない。中東諸国ではイスラム根本主義勢力、国際テロリスト、そしてトルコ系過激愛国主義者によるキリスト教徒への迫害が拡大。イラクでは戦争前に約120万人いたキリスト信者のうち、半数が隣国などに亡命していった。イラクのフセイン政権時代のタレク・アジズ副首相もカルデア典礼のカトリック信者だったし、シリアのバース党創設者ミシェル・アフラク氏はギリシャ正教徒だった。フランシスコ教皇のイラク訪問は中東のキリスト信者たちを鼓舞する狙いがあるはずだ。
84歳の高齢教皇はバッハの音楽を聴きながら、襲ってくる不安と戦う一方、聖職者の性犯罪、不正財政問題などに直面するバチカンの改革、カトリック教会の霊的刷新などの課題に全力を振り絞って立ち向かうわけだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年3月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。