いつまで続く日本の中央集権

江戸260年をどう評価するか、人によりいろいろだと思います。少なくとも学校で習った江戸時代は天下泰平で文化が進み、町民まで文字や学問が行き渡り…といった非常に良い点がフォーカスされていた記憶があります。私は日教組支配下の教育を受けたから当然の方向性であります。

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どう評価するか、ですからよい面、悪い面があるはずですが、学校教育ではその議論を横に置いて一般的な話を決めごととして教えるため時として大人になってから「あれ?」と思うこともあるのです。

例えば織田、豊臣、徳川の3人の誰がよい人か、と言えばこれは時代とともに変遷するし、時々の時代小説や大河ドラマが影響することもあります。私が幼少のときはホトトギスがなくまで辛抱強く待つ性格が良しとされて「家康はすごい人だ」と刷り込まれたのです。しかし、今、私は家康の江戸時代が日本を後退させた点は捨てきれないと思っています。

一つの政権が長期になるとろくなことがないのは隣国を見てもわかります。李朝朝鮮は500年も続き、その間、国民は文盲、文字もなく、両班という一部の特権階級だけが全ての民を搾取するような社会が続いたのです。驚くべき500年の停滞であったと思います。

では江戸時代はと言えば中央集権のために地方のチカラをそぐことに全てを注いだといってよいと思います。それを徳川の素晴らしいところとする見方もありますが、それによりあるべき改善が施されれなかったことはあるでしょう。それ以上に武士が戦のやり方を知らなかった時代だったとも言えます。結果として参勤交代などで地方を無力化させる日本統一のやり方が今日の日本を歪めた源流であった気がしています。

最新号の日経ビジネスの特集は「震災10年の現実 先送り国家ニッポン」であります。この特集は最近の中ではかなり良い内容だと思います。震災から10年、あの時、あれだけ復興プランができたのに何一つ、進んでいない、いや内容によっては「そんな話、あったっけ?」というのです。イーロンマスク氏が相馬市に「再生可能エネルギーの一大聖地」になるようマスク氏自身が現地で太陽光エネルギーシステムの寄贈式典に出席しています。そしてその後の話を読み、私もびっくりであります。立ち読みでもよいので読む価値はあります。

ただ、私はその記事を全面的に支持しているわけでもないのです。それは日経ビジネスがそれら復興プランが進まなかった理由を「規制」「国の動きの遅さ」「既得権益」にまとめてしまったからです。私もそれ自体は否定しないですが、それだけではないと思うのです。それは中央集権国家で地方のチカラも人的資源も知的能力も全部削がれてしまったということではないかと思うのです。

幕末、長州、薩摩の藩士や坂本龍馬は倒幕というより中央集権への挑戦だったと思います。結果として徳川幕府が崩壊するわけですが、それは結果論であり、黒船の襲来で全く太刀打ちできなくなり、日本に萌芽があった見るべきでしょう。

震災復興プランを見ても「新産業を矢継ぎ早に集積し、世界から企業や人材を大量に呼び込む」(日経ビジネス)というお題目のもと「大規模植物工場」「最先端福祉事業」があったけれど今は忘れられた存在になったとあります。理由は簡単。震災復興で日本のみならず、世界が注目した中で計画だけが舞い上がり、「手のひらの上でコロコロされた」だけです。実現計画性ゼロ、理論武装もなしで多分、地元議員あたりがぶち上げた小学生の感想文並みの内容だったと思われます。ということは震災地に西郷も大久保も坂本もいなかったということになります。

ではなぜ、そんなにレベルが低かったのか、と言えば中央や大企業にチカラを取られてしまったからであります。ところが今回のコロナ禍ではあちらこちらの都道府県知事がやけにマスコミに登場し、各知事が独自色を出そうと必死であり、国が防戦でありました。かつては都道府県の特色はせいぜいマスコットキャラクター程度だったのが今、個性を出そうと頑張っているではありませんか?

これで令和維新にでもなってくれればよいと思います。

日本は北海道から沖縄まで歴史的変遷、文化、産業構造、人の性格など大きく違っています。それを一つのやり方で縛るのはそもそも無理があるのです。よい例がコンビニエンスストアの経営戦略でしょう。彼らが行き詰まった一つは全国で同じものを売るという発想が必ずしもワークしないことに気が付いたのです。それと同様、国政もある程度地方分権を進める議論を始めてもいいんじゃないかと思うのです。

地方の時代と政権は言いますが、それは中央が鵜飼で地方を鵜にして絶対支配下に置いているのです。これではだめ。例えばアメリカでもカナダでも州による自治権が強いのはエリアの特性がありそれを生かすからこそ、国家全体が伸びることが分かっているからなのです。

先日、このブログで将来は小規模な共同体が一つの塊になると申し上げました。その意味は国家の政策が時として机上の論理、そして既得権の塊と化すからであり、それが崩れる日は遠くないとみているからです。中央集権の時代ではない、中央と地方がうまく分権しあいながら調和を保つことが今後の日本の発展を担うと私は考えています。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年3月1日の記事より転載させていただきました。