なぜ、いま渋沢栄一なのだろう?

NHK大河ドラマ「青天を衝け」の視聴率が好調に推移しているようです。日本資本主義の父、と言われるそうですが、父の影は薄かったと思います。渋沢栄一の名前が世に浸透し始めたのは2019年に日銀が新紙幣のデザインを発表し渋沢が1万円札に決まったことでしょうか。ネットでは当時「渋沢って誰?」という感じだったのを記憶しています。

NHK 青天を衝け 公式HPより

500以上の企業の設立に関与したし、非ビジネスにも深く関与、例えば日本女子大の設立を助け、第3代の校長にもなっています。渋沢は1840年生まれ、1931年没ですから180年前に生まれ90年前にお亡くなった古い人であり、政治家ではないので明治維新の偉人にも上がってきません。以前このブログで日産コンツェルンを創設した鮎川義介を紹介したことがありますが、渋沢にしろ、鮎川にしろ、経済人はあまりにも目立たなかったと思います。

どちらかと言えば渋沢と親交のあった三菱の岩崎弥太郎がはるかに注目されたのは資本主義の流れを旨く汲み取り、財閥という明白でわかりやすい形を作り、三菱グループという誰でも知っている企業体を残したからでしょう。一方、渋沢が500の企業に関与したといっても5つ名前を上げよといわれても上がらないかもしれません。みずほ銀行、JR東、東京海上、東急、東京ガス、帝国ホテル…と確かにへぇ、なのですが、関連性も何もありません。渋沢の名前が残っている大きい企業は私の知る限り、澁澤倉庫(東証一部)ぐらいかもしれません。

実際、いくら渋沢が91歳まで生きた長寿であったとしても500社の実務まではできません。つまり関与したとしてもその関与は第一国立銀行(現みずほ)のように頭取をやり、濃いものもありますが、非常に薄いものがほとんどでありました。それが逆に現代において渋沢への焦点が絞り込めない弱点でした。没後90年でようやく広く国民に認知されるようになったということかと思います。

私が知る渋沢の最大の価値は「利他の心」ではないかと考えています。最近の企業家では稲盛和夫氏がその筆頭に上がると思いますが、鮎川義介も利他の心を持っていました。どうも日本では自分の財布を気にする強欲より廻りの幸せを考える人の評価が高いようです。

渋沢の場合、「自分が達成しようとするならばまずは他人にやらせ達成させよ」という思想を持っているため、これと思しき人の背中を押して「後は頼むぞ」的な感じだったのではないかと思います。

もう一点はモノの見方の視野が広く、間違いをあっさり認め、方向転換できる人物だったと考えています。パリに行った際の驚き、尊王攘夷の思想をあっさり捨てた点は「変わり身の早さ」とも言われますが、自分でしっかり考えた結果だと感じています。「尊王攘夷」の思想の変遷は坂本龍馬に近かったのではないかと思っています。

今、渋沢に注目が集まるのは日本が高度成長期からバブル崩壊、その後ITバブルを経て現在に至る流れでビジネスの姿勢を説いているように思えるのです。かつては「働けば生活が向上し、欲しいものが手に入る」という物欲中心主義だったと思います。次いで2000年代初頭に「MBAは優秀だ」というキャリア重視時代が訪れ、人的コネクションと資金調達で一気に花咲き、時として一気に散っていく若い経営者が増えました。一方、大企業は伸び悩む中、社員は会社という看板に守られてきました。つまり、目線がどれも「自己利益の追求」でありました。私が時々参照にするマズローの欲求5段階説でいかにピラミッドの上に上がるか、という視点だったと思います。

我々日本人は既にそこから卒業し、公益のために何ができるのか、という段階に入っています。世界をリードできる人材を作らねばならない、というステージに入った中で渋沢の立ち位置はこれからの日本のビジョンという点で着目されているのではないかと考えています。

目立つのが全てではない、人目につかなくても日々、自分がブレずにしっかり歩んでいく、というスタイルは共感できますよね。渋沢ブームが流行で終わらなければよいと思っております。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年3月7日の記事より転載させていただきました。