公開が遅れに遅れていた「シン・エヴァンゲリオン」がついに封切られました。内容にほぼ触れないで感想を伝えるのは難しいけれど、挑戦してみます。
そもそもエヴァンゲリオンとはなにか
サブカルなのでご存じない方が多いと思いますが、エヴァンゲリオンは1995年に放送されたテレビアニメです。
大災害「セカンドインパクト」が起きた世界(2015年)を舞台に、巨大な汎用人型決戦兵器「エヴァンゲリオン」のパイロットとなった14歳の少年少女たちと、第3新東京市に襲来する謎の敵「使徒」との戦いを描く。(Wikipediaより)
ちなみにエヴァンゲリオンの内部構造は、機械(ロボット)ではありません。使徒(怪獣っぽい)との戦いでけっこう損傷するのですが、人間の造形なので、血や臓物(のようなもの)が飛び散り、なかなか凄惨な戦闘シーンになります。
しかも、この使徒が地球に襲来するのですが、なぜ人間を襲うのか、理由は判然としません。終盤は、使徒殲滅を主要任務とする特務機関NERV(ネルフ)とその上部機関であるSEELE(ゼーレ)との主導権争いになり、そもそも誰となんのために戦っているのかわからないところが、当時のバブル崩壊後の殺伐とした日本の風潮にマッチしていたのかもしれません。
そしてエヴァンゲリオン初号機に乗る主人公、碇シンジくんの内向的すぎる性格と、その他メインキャラの持った喪失感、キリスト教をモチーフとしたような衒学的すぎる設定等が、当時の少年少女(主にハイティーンと思われます)の心に突き刺さりました。
しかし、視聴対象を絞り切れなかったのか、視聴率は振るいませんでした。またスタッフも終盤で力尽きたのか、オーラスは戦闘ではなく主人公シンジくんの内面の吐露の描写で伏線を一切回収せずに終わるというまさかの展開を迎えます。けれどもこの唐突な終了がぎゃくに話題となって、ブームに火が付いたのが、現在まで続く人気の始まりでした。
シン・エヴァンゲリオン劇場版:||がようやく公開
そのリメイク版の映画4部作の最終話が、新型コロナの影響等で遅れつつも、ようやく公開されたわけです。当然、ファンの間では話題騒然です。
庵野秀明監督は最初の2作は忠実にテレビ版を踏襲していました。けれども、第3部から世界観をよくも悪くも破壊しました。
今回封切られた第4部は、現代社会の課題が投影されているように見えます。前半は、AIっぽい要素や、精神医学っぽい要素、コミュニケーション不全、里山資本主義、生命倫理、労働倫理といった要素などが、てんこ盛りです。また、後半の戦闘中にはメタフィクション的な手法を取り入れて、初見ではついていくだけで精一杯になります。
これはロボットアニメとして見ると見誤ります。コミュニケーション不全とその回復がテーマの作品なのです。なので、とても内省的、思想的な作品になったと言っていいかもしれません。
鬼滅の刃との決定的なちがい
ここで昨年劇場版が公開され、記録的なヒットとなっている「鬼滅の刃」と比較したいと思います。あざといと言わなでください。あざといんですから。
吾峠呼世晴による日本の漫画。略称は「鬼滅」。『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて2016年から2020年まで連載された。大正時代を舞台に主人公が鬼と化した妹を人間に戻す方法を探すために戦う姿を描く和風剣戟奇譚。コミックスのシリーズ累計発行部数は電子版を含めて1億5000万部を突破している。(Wikipedia)
なにがちがうかというと、そりゃ生身の人間が刀を持って戦って、その相手が鬼なのと、舞台が大正時代でしょう、と。そりゃそうなのですが。
けれども、決定的なちがいはコミュニケーションの扱い方です。
「鬼滅」は週刊少年ジャンプのある意味王道の冒険活劇で、主人公の炭治郎は明朗快活で家族思い、周囲とのコミュニケーションの齟齬はまったくありません。炭治郎は、エヴァンゲリオンのシンジくんみたいに、あんまりお友だちになりたくないなという感じはまったくないのです。柱と呼ばれるメインキャラクターたちも、性格にかなり癖がありますが、みんな仲間思いです。
敵である鬼たちも、もともと人間だったのがなぜ鬼になったのかというていねいな内面描写もあり、これはけっこう画期的でした。あれだけ人間を殺したのに、鬼になった理由があって、実はけっこういいやつだったのではという読後感すら読者に与えます。
描写こそ凄惨な戦闘シーンが多いですが、基本的にみんな前向きで、仲間思い、場合によっては敵とも分かり合えますし、なにより敵とその目的がはっきりしています。コミュニケーションに齟齬がありません。そもそも話していない回想まで仲間内で共有してしまっていたりします。つまり、コミュニケーション自体はテーマにすら上がってきていません。
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このコミュニケーションの表現のちがいは、単にテレビアニメと少年誌という媒体のちがいでしょうか。作者が男性と女性のちがいでしょうか。そもそもマーケティング対象のちがいでしょうか。それとも90年代という閉塞した時代と、現在の(諦念も含めた)わりと前向きな時代の風潮とのちがいでしょうか。
1990年代と2020年代の時代の空気のちがい、みなさんもぜひ劇場で感じてみてください。