震災10年、これからどう進むのだろう?

東日本大震災から10年の節目をむかえたことで様々なニュースや特集が組まれていると思います。未だに住んでいたところに戻れない方、津波で家族がバラバラになった方、全てのものを無くしてしまった方、でもその中で人と人のつながり、支援の輪、苦しいからこそ笑顔で頑張るという社会も育まれてきました。

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経済の復興はどうでしょうか?まずは自分の足場を固めるという意味から家を沿岸部から離れたところ、あるいは高台に移された方は多いと理解しています。日経ビジネスに陸前高田の復興と誤算のケースが掲載されています。

記事によると震災前は5つの商店街がバラバラに存在していたが、復興にあたりコンパクトシティを目指すこととし、駅前に街を集約しました。その結果、街の中央にある商業施設には年間120万人も来場し、賑わいがあり、かつ、その商業施設のそばにも店ができるなど広がりが見えているとされています。

ここは評価する点なのですが、新しい住宅地街がこの商業施設と離れていることもあり、夜になると閑散としてしまうというのです。つまり、活気があるのは「おてんとうさま」があるときだけで夜は足音だけが響くところだというわけです。これが日経ビジネスがみる誤算の部分であります。

さて、これを誤算と取るか、妥協できる範囲とすべきかは議論があるところです。商業施設は駅前、夜になれば車などで高台のエリアにある住宅地に戻ることは私からすれば必ずしも失敗ではないと思うのです。もしも「夜の賑わい」を同誌が期待しているなら地方の小都市でそれを望むのは端から無理な話であります。大都会しか知らないと夜の足音が不気味という感性は分かるのですが、仕事が終わって飲み屋で憂さ晴らしして人がたくさん乗っている電車でご帰宅というのは日本国内でもほんの一部にすぎません。

改善案として陸前高田のケースの場合、2つのオプションがあると思います。一つは新しくできた住宅街にちょっとした食堂/居酒屋を設け、近所の人が歩いていける寄合所的な店舗を作ること、もう一つは駅前の商業施設と住宅街を結び、下車場所がある程度自由に選べるミニバスを運行することでしょうか。

寄合所的店舗のアイディアは私がかつて英国のケンブリッジの住宅街に滞在していた際、住宅街のところどころにパブがあったことがヒントです。そのパブに何度か行ったのですが、完全よそ者扱い(しかもアジア人)で相当煙たがられたのを覚えています。似たようなパブはカナダにもアメリカにもあり、月曜日はママ友の日とか水曜日はパパの寄合の日といった具合で小さいなコミュニティの活性化には極めて優れているアイディアだと思います。

つぎに経済復興全体をみると震災で大きな被害を被った福島、宮城、岩手は比較的良好な成長ぶりを見せている点です。2012年から17年までの県別経済成長率をまとめたものを見ると福島は1.9%で全国7位、宮城1.66%(同10位)、岩手1.31%(同20位)で、それ以外に山形(2位)栃木(4位)群馬(3位)茨城(11位)も含めれば日本の経済地図は「東高西低」であることが見て取れます。

いわゆる北関東圏はそもそも経済成長が著しく、将来性はかなり高いとされています。ところが新幹線で行くと福島がかなりの山間部で私から言わせれば東北版「箱根の関所」的で「そこを抜けると仙台があった」という感じでしょうか?岩手は平地が広がるところも多く本来であれば仙台を起点とした極めて大きな経済圏を生み出すことが可能だと思っています。

日本は歴史的に京都、大阪を軸にする考え、および福岡が地政学的に優れている点が挙げられ、仙台は流通的にハンデを背負っていると思われます。ただ、それは行政の都市計画のやり方で工夫はできるし、観光資源も豊富ですからもしも地方の時代というならば東北については仙台を拠点とする産業育成を行い、企業が自主的に集まってくるような計画をすべきでしょう。それこそ税制メリットをだしてでももっと企業誘致したらよいかと思います。

最後、原発のことに触れておかねばならないでしょう。菅総理が2050年にカーボンニュートラルを唱えています。今年秋の「COP26」対策だと思いますが、日本が到達可能か、と言えば世界で一番難しい国かもしれません。1990年比で2019年の日本のCO2の削減幅は5%。これに対して欧州は24%、英国が43.8%です。日本はこれから追い上げだ、というのでしょうけれど常識的枠組みではまず不可能と言われています。

何が難しいのか、といえば規制と競合であります。福島にある浮体式風力発電が撤去されます。パイロットプログラムだったとはいえ、国が600億円も出して2013年以降、運用していました。問題は発電施設ではなく、その発電したものをどうつなげ、どうエンドユーザーに提供するのか、ここがネックなのです。だから2050年のカーボンニュートラルの決め手とされる4500基の洋上発電は現状、机上の計画以外の何物でもないのです。洋上の場合、更に漁業権が絡むのです。

梶山経済産業大臣がインタビューで原発を否定しないのはカーボンニュートラルを可能にする唯一の近道は原発だからなのです。数日前、アメリカのある記事で原発関連事業に薄日が差すかもしれないとありました。理由はアメリカもバイデン政権下で一定のカーボンニュートラルに対する姿勢を示さざるを得ない中で異様に難しい設定の中、国内の10%程度の電力を賄っている原発は最後のよりどころとなりそうな気配だという論調でした。

私はウラン採掘会社の株式をいじっていたこともあり、ウランの相場はずっと見てきています。採掘会社の株もいまだウォッチリストです。確かに上がっているのです。過去10年なかったぐらいに。

日本が原発を受け入れるのは厳しいでしょう。処理の方程式がないものは理解を得られないでしょう。ただ一時期話題になった小型原発など今までの発想と全く違う展開ができないものか、研究を重ね、再検討する努力は怠らない方がよい気がします。カーボンニュートラルと原発は表立って言えないけれど、切っても切り離せない関係かもしれません。

復興から10年、今、我々は発展、そして新たな道を切り開く新たなる10年の道と向かわざるを得ません。できない、やれないではなく、どうやったら解決するのか、試行錯誤を続けるしかないのだろうと思います。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年3月11日の記事より転載させていただきました。