ロシア製ワクチン「スプートニクⅤ」はなぜ嫌われるか

欧州連合(EU)域内市場担当のティエリー・ブルトン委員(仏)は21日、「EUは7月中旬までには新型コロナウイルス(SARS-CoV2)への集団免疫(独Herdenimmunitat)を実現するだろう」と、フランス民間テレビ放送TF1とのインタビューの中で語った。コロナウイルス感染に怯えてきた欧州諸国にとって朗報だ。

▲7月中旬までにEU域内の集団免疫が実現すると主張するブルトン域内市場問題担当委員(EU委員会公式サイトから)

ブルトン委員によると、3月から6月にかけ3億~3億5000万回分のワクチンが加盟国に供給される予定という。そして「EUはロシア製ワクチン、スプートニクⅤへの需要はまったくない」と付け加えた。加盟国の中にはブリュッセルからのワクチン供給が遅れているため、スプ―トニクⅤや中国国家医薬集団「シノファーム」(Sinopharm)のワクチンを輸入する動きが見られる。ブルトン委員の発言は「心配しなくても大丈夫だ」というシグナルを加盟国に発信する狙いがあったのだろう。

同委員の説明によると、EU域内で3月で6000万回分、4月には1億回分、そして5月には1億2000万回分が供給される。EU域内で現在、55カ所でワクチンが製造されているという。もちろん、この数字はブリュッセルがワクチン製造メーカーに発注した量だ。具体的に供給できるかは別問題としても、数字だけを見る限り、EUの集団免疫は今年上半期にはほぼ実現できるということになる。

ところで、今回のコラムのテーマはその後の同委員の発言だ。「スプ―トニクⅤは欧州では不必要だ」という部分だ。ロシア製ワクチンはプーチン大統領が世界最初のワクチンとして大々的に宣伝したもので、世界で15カ国以上で既に接種されているが、欧州医薬品庁(EMA)はまだ認可していない。ただし、欧州でも新規感染者が急増するハンガリー、チェコ、イタリアでは、ブリュッセルからのワクチン供給を待っている余裕がないとして、ロシア製ワクチンを発注したり、既に接種を実施している。

オーストリアのクルツ首相はロシア製ワクチンへの抵抗が少ない指導者の一人だ。同首相は国内でスプ―トニクⅤの製造の可能性を模索している、というニュースが流れてきたばかりだ。国民の反応は別として、クルツ首相としてはワクチン接種の遅れを何とか解決したいという思いが強いのだろう。実際に、ロシア製ワクチンを国内で生産するというより、ワクチン供給の遅れの原因であるEU本部ブリュッセルへの当てこすりの意味合いも含まれているはずだ。

イタリアでは国内の感染病専門病院「ラザロ・スパランツァーニ」で既にスプートニクⅤ接種が試験的に始められている。将来の国内生産を視野に入れた試みという。ハンガリーは欧州諸国で先駆けてスプートニクⅤの接種を始めた国だ。スロバキアではロシア製ワクチンの発注問題でマトヴィチ政権内で争いが起きている。

ロシアのワクチン製造は長い歴史を誇る。実際、スプ―トニクⅤの有効性は91.6%だ。その数字は、米製薬大手ファイザーと独バイオ医薬品企業ビオンテックが共同開発したワクチンやモデルナ(共にmRNAワクチン)と同じ水準であり、英製薬大手アストラゼネカのワクチン(ウイルスベクターワクチン)より数段高い。また、少なくとも副作用のケースは西側では余り報告されていない。アストラゼネカのワクチンは今月、接種後に副作用の疑いがあるとして一時的に接種が停止されたばかりだ(今は再開)。

いずれにしても、欧米諸国ではロシア製ワクチンに対する評価は低いというか、敬遠される傾向がある。「ロシア製ワクチンを接種することは、ロシアン・ルーレットだ」と口悪くいう者もいるほどだ。

伝統的に親ロシア国のセルビアなど一部の国を除くと、欧州ではロシア製ワクチンに対しては中国製ワクチンより抵抗が強い。後者は安価で迅速な供給能力が最大のセールスポイントだ。欧州諸国には冷戦時代から積み重ねられてきたロシア〈旧ソ連)との苦い体験が払しょくできない面があるのだろう。その点、欧州は過去、中国と直接軍事衝突したことがなかった。この違いは大きい。

ロシア製ワクチン「お断り」はロシアへの偏見だろうか、それとも品質面で欧米製品より実際劣っているからだろうか。この問題はロシアが今後、国民経済を発展させるうえで看過できないテーマだ。単なる風評か、事実か。現代風に言えば、フェイクかファクトかだ。

話は飛ぶが、失言癖が多いことで知られるバイデン米大統領は17日に放送されたABC放送とのインタビューの中で、「プーチン大統領は殺人者だ」と答えて物議をかもしている。AFP通信によると、プーチン氏自身は18日、「お互いさまだ」と述べ、極力平静を保っているが、ロシア国内では強い反発が出てきている。

バイデン氏の発言は外交表現としては不味いが、厳密に言えば「プーチン氏は殺人者だ」という発言は根拠のない暴言ではない。ロシアの反体制派活動家ナワリヌイ氏が昨年8月、シベリア西部のトムスクを訪問後、モスクワに帰る途上、機内で突然気分が悪化し意識不明となった毒殺未遂事件が生じたばかりだ。ドイツ、英国、フランス、そしてオランダ・ハーグの国際機関「化学兵器禁止機関」(OPCW)は旧ソ連の毒薬ノビチョクが検出されたと証言している。英国では2018年3月4日、亡命中の元GRUのスクリパリ大佐と娘が、英国ソールズベリーで意識を失って倒れているところを発見され、調査の結果、毒性の強い神経剤が犯行に使用されたことが判明している、といった具合だ。ロシアが関与した、この種の犯罪事例は少なくない(「独ロ『戦略パートナー』関係の終焉か」2020年9月3日参考)。

まとめる。スプ―トニクⅤでみられるロシア製への警戒心、そしてバイデン氏の「プーチン氏は殺人者」発言を考える時、ロシアの近未来に対して少々暗くならざるを得ない。ロシア経済の発展や民主化までにはまだまだ長い道のりが控えている、という結論になるからだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年3月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。