元不倫相手を殺害、ストーカー殺人事件を繰り返さないために

先日、埼玉県で23歳の同僚女性を36歳の不倫相手の妻子ある男性が殺害したというニュースが流れました。しかも、結局は使われなかったものの拘束用のロープや男性の名前を入れた焼印も用意していたようです。供述では内腿に焼印を入れる計画だったということです。男性の女性への執着の深さがうかがわれます。事件関係者の皆様の心中を思うと、いたたまれない想いです。特にご遺族には、心からご冥福をお祈りいたします。

「愛が憎しみに変わった」自分の名前入りの焼き印も準備…23歳元恋人殺害の妻子ある男の執念深さ(FNNプライムオンライン)

繰り返されるストーカー殺人事件、もう起こさないために

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ただ、このようなストーカー殺人事件は跡を絶ちません。書籍化もされた1999年の桶川の事件、センセーショナルに報じられた2013年の三鷹の事件、そして最近では2020年11月にも東京中野区で洋菓子店員が犠牲になる事件が起きています。この先も、いつまた起こるかわからない事件の一つと言えるでしょう。

このような事件は私たちと「何かが違う普通じゃない人」が起こしているのでしょうか?私たちには無関係なのでしょうか?実際、この男性も一部のネット上ではネガティブな情報が出回っています。しかし、現代心理学で考えると男性であればほぼ必ず備えていると言えるシステムが働いた上での事件と考えられます。そこで、今回はこの事件を振り返って、心理学的な真相を探ることで事件をもう起こさないために何ができるのか考えてみたいと思います。

仲睦まじい関係から凶行へ

まずは、今回の事件を振り返りましょう。不倫が順調…という表現は適切とは言えませんが、少なくとも二人とも何も問題を感じていなかったころは愛称で呼び合うなど、まさに「ラブラブ」と言える関係だったようです。男性の部屋からは仲睦まじい写真も数多く発見されたそうです。

男性の妻が不倫を知ったことで修羅場となり、女性が別れる決心をしたようです。そして、「他に好きな人ができた」と切り出したことが男性の執念の炎に油を注いたようです。

今回の事件で興味深いのは、男性の妹さんが二人の関係を知っていたことでした。そして兄を心配する妹さんは諦めるように兄を諭したとされています。しかし、妹さんの願いは虚しく、兄は凶行に及ぶこととなったのです。

原始的な動物の配偶者防衛本能

男性の執念や凶行の背景には何があるのでしょうか?結論から言うと、全ての男性に搭載された「配偶者防衛本能」という原始的な動物だったころからの本能の暴走です(杉山,2016:『ウルトラ不倫学(主婦の友社)』)。

男性は自分で子どもを産めません。女性に産んでもらうしか子孫を残す手立てがない虚しい存在なのです。したがって、確実に子孫を残すには女性に「自分だけ」の存在になってもらう必要があるのです。そのため、他の男性を「自分だけの女性」に近づけないように、そして近づけさせないように…という行動原理を持っているのです。

この行動原理が最後まで暴走するとどうなるのでしょうか?まず、近づこうとする男性を排除しようとします。それだけでなく、さらには女性を他の男性に近づかせさせないために女性の自由を奪おうとするのです。

本稿のメインテーマではありませんが、一部にはこの行動原理が価値観や文化になっている場合もあることも一つの事実です。価値観や文化はそれが正しいと信じる人達が社会を構成することで生まれます。言い換えれば、配偶者防衛本能に囚われた男性たちは、それが正義だと信じ込むのです。つまり、このような男性にとって「自分だけのもの」にならない女性は「悪」なのです。

「相手を殺して、自分も死ぬ!」の心理:本当に殺したい?

「悪」は排除しなければなりません。つまり、配偶者防衛本能の暴走が行き着くところは、「自分だけ」にならない女性の殺害なのです。多くのストーカー殺人で男性は女性の「間違った行いを止めるため」と信じて殺害するようです。殺した後もこの信念が変わらない場合もあります。怖いことです。

しかし、原始的な動物の本能と人としての心理が葛藤したまま凶行に至る場合もあるようです。「相手を殺して、自分も死ぬ」と考えて行為に至るケースにはこのような葛藤があるのかもしれません。ただ、凶行で全ての心のエネルギーを使い切ってしまったのか、自死には至れないことが多いようです。

この男性は女性を殺さずに済む方法も模索していたようです。名前入りの焼印を内股に…というだけでも十分に怖いことですが、殺すことだけを考えていたならこれは不要です。焼印を入れて、自分だけのものになってもらえるなら一緒に生きたいと思っていたのかもしれません。しかし、結果は本当に恐ろしいこととなってしまいました。

陥ってから諭すだけではなく、自覚をうながすリテラシー教育を

では、どうすれば良かったのでしょうか?妹は兄を諭しました。でも凶行は止められませんでした。その結果を受けて裁判官は判決後に「本当に愛情を持って接していたのか」よく考えるようにと諭したようです。でも、このような個人への諭しで次の事件を防げるのでしょうか?

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私はもっと大事なことは、早い段階から男性自身が配偶者防衛本能というリスクを実装した存在であるという自覚を持たせる教育ではないかと考えています。リスクを認識していれば、それを避けるチャンスが増えるからです。リスクを知らないことが、リスクを本当にしてしまう最大の要因の一つと考えるべきです。

また、人としての心理は自分を客観化してモニタリングすることで強くなります。このことは認知行動療法という現代的な心理療法でも極めて重視されていることの一つです。自覚によって、私たちは原始的な動物時代の本能と上手に付き合えるようになるのです。

一方で、原始的な本能はパワーが強いので、一旦これに取り憑かれると諭しではコントロールできないことが多い印象です。したがって、できるだけ若いときから人間が持つ本能との付き合い方を学び、自分をモニタリングできる力を育てることが重要なのです。

現状では、日本は心のリテラシー教育だけでなく、生き方全般のリテラシー教育が貧弱です。欧米には、依存症を回避するためのリテラシー教育がほぼ標準的に行われている国もあるようです。配偶者防衛本能の暴走も、ある意味で「性愛への依存症」が招いた結果です。繰り返される悲劇を、その都度、一つの「特別な事件」として片付けるのではなく、悲劇がもう怒らない未来に向けて私たちにできることを考えて行きましょう。関係者の皆様の苦しみを、もう二度と繰り返さないためにできることがあるはずです。