4月から始まる「70歳定年」を恐れるのは、従業員ではなく経営者

黒坂 岳央

黒坂岳央(くろさか たけを)です。 

明日4月1日、70歳までの就業機会確保を努力義務とする「改正高年齢者雇用安定法」が施行される。これにより、従業員、経営者ともに「定年」についての考えを改める機会になるだろう。現時点では「努力義務」であるため、違反で即、刑事罰や過料等の法的制裁を受けるわけではない。だが、努力義務が義務に変わるのも時間の問題だろう。

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「70歳定年」と聞けば、30代までの若い世代からは「いつまで働けばよいのか」とため息が聞こえてきそうだ。だが、個人的には従業員側より、経営者側の方が厳しい立場だと感じる。従業員側は「働くか?やめるか?」のオプションを持てる一方で、本制度が義務化されれば経営者側は雇用する選択肢しかなくなるからだ。

今回は経営者、従業員の視点からこの制度の是非を論考したい。

従業員側は健康意識と老後資金意識が変わる

70歳定年になることで、従業員側は2つの意識変革が迫られるだろう。1つ目は健康問題、そしてもう1つは経済的問題だ。

70歳まで働く前提になれば、現役で活躍するための健康な肉体や体力の維持が必須となる。60歳をすぎると、人によって体力や見た目の老化に大きな差がつく。内面の精神的、臓器的年齢の進行度合いの差はさらに大きいだろう。医療医療技術の発達によって、将来の健康寿命延伸が期待できるが、仕事内容によっては新技術へのキャッチアップが難しい可能性は否定できない。いずれにせよ、現役として活躍できるだけの健康を維持できるかが、個々人にとっての大きな課題になる。

そしてもう1つは経済的な変化だ。こちらは中高年にとっては、どちらかといえばポジティブに捉える人もいるのではないだろうか。子供を社会に出した後は老後の蓄財が課題となる。70歳まで給与所得があるなら、老後資金確保に大きく寄与する。定年義務化が実現すれば、年金の受給開始年齢が引き上げられるかもしれない。だが、支給される年金より給与所得の方が大きいだろうから、経済的にはポジティブという見方ができるだろう。70歳までに十分な蓄財が形成されているなら、退職する選択肢も取れる。この点については、実質的デメリットは今の所ないように感じる。

70歳定年で大変なのは経営者

むしろ、本制度が義務化されれば、大変なのは雇用者側の方だ。

ただでさえ日本の現行法は、あまりにも正社員の雇用が強固に守られすぎている。ひとたび、正社員登用をして試用期間がすぎると、もはや従業員の解雇は容易ではなくなる。もちろん、筆者はむやみに「もっと解雇を促進せよ」などと暴論を主張するつもりはない。

自分自身、会社員時代にクビにされた辛い経験もしているので、解雇は従業員側にとっては身を裂かれるような辛さが伴うことはよく理解している。解雇は極めて慎重に取り扱うべきテーマだ。しかし、解雇が人材の流動性をもたらす効果があるのは事実であり、長期的にみればそれが適材適所の促進化をもたらす側面がある。従業員側も解雇される経験を経ることで、よりスキルアップなどの自己研鑽の重要性を意識したり、自分に向いた仕事を真剣に探し、長期的に働ける職場を求めるようになるからだ。

話を70歳定年に戻したい。この70歳定年が促進すれば、企業の新陳代謝が悪くなるのが懸念だ。戦力になるベテラン社員が長く在籍してもらえるなら、企業側にもメリットはある。だが、問題はそうでない社員を70歳まで雇用しなければいけない場合だ。まったく仕事に適正のない社員や、やる気のない社員にしがみつかれることは、雇用する企業側にとっては固定費の増大につながり、日本経済のマクロでの観点でも人材の流動性の低下という面で、マイナスが生じるだろう。70歳まで雇用確保義務の延長となれば、人件費の面でかなり厳しいと感じる経営者もいるのではないだろうか。

また、年齢が70歳間近となることで、若い社員とうまく折り合えず、変化するビジネス環境についていけなくなってしまえば活躍の場がなくなってしまう。「そこを上手に人員配置するのが経営者の仕事だろう」という反論もあるだろう。だが、ITなど個人のスキルが成果に大きく直結する職種においては、新たなる技術へキャッチアップできなくなった社員の活用を見出すことは容易ではない。いずれにせよ、正社員を雇う経営者側としては吉と出るか凶と出るかで、ますます慎重にならざるを得ないだろう。この点において「70歳定年」は従業員側より、経営者側の方がシビアに感じるテーマと思うのだ。

変化の速い時代においては、従業員も経営者も立場は違えど、共にビジネスマンとして常に変化を求められる。問題は変化し続けられるかどうかだ。この制度には長寿命化に伴う必然性の存在を感じるが、同時に懸念も生まれるのも確かだろう。