厚労省送別会問題は官僚の劣化か? 

厚生労働省の職員23人が、深夜0時近くまで東京・銀座の飲食店で送別会をしていた問題で、厚生労働省は、送別会に参加していた老健局老人保健課の課長を、大臣官房付に異動させることが明らかとなった。これは、事実上の更迭である。

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この厚労省送別会の何が問題かと言うと、その1つは、国民に「自粛・自粛」と呼びかけている側にあるにも関わらず、自分たちは、かなりの大人数で飲食店で(ある者は)マスクを外し、飲食をしていたことである。これでは、国民の気持ちが萎え、白けるのは当たり前だ。

問題の第2は、こういった自分たちの行動が世間にバレないと思っていた官僚たちの危機感のなさである。想像力がなかったと言って良いかもしれない。危機感や想像力が働かず、果たして、国の舵取りをしていくことができるのか。そういった心配もある。これを官僚の劣化であると言うこともできようが、しかし、かつて、ノーパンしゃぶしゃぶ事件(1998年)もあったように、官僚の危機感というものは、時代が変わっても、それほど変わらないのかもしれない(もちろん、ノーパンしゃぶしゃぶ事件は、大蔵省を舞台とした汚職事件であり、送別会問題と同列に扱うことはできないが)。

今回の送別会問題で明らかになったことは、口では「自粛・自粛」と言いつつ、本心では「新型コロナなんて、怖くないよ」と思っている官僚も結構いるのではないかということだ。政府関係者だけでなく、国民の中にもいると思う。しかし、そうした考えは一概に否定することはできない。日本における新型コロナの感染状況で緊急事態宣言を連発するのならば、これから、インフルエンザが流行る時期になると、毎回、緊急事態宣言を出す必要が生じるだろう。インフルエンザでも多くの人が亡くなってきたし、医療もひっ迫するからだ。

しかし、インフルエンザで緊急事態宣言を出すことは、これからも多分あるまい。インフルエンザで人が死ぬのはこれまでも野放しにして、新型コロナは経済に打撃を与えるほど厳格に取り締まる、この差は一体、何であろうか?

新型コロナを怖がり過ぎる、いわゆるコロナ脳になるのもいけないし、かと言って、マスクを外して大人数で会食するのも避けたほうが良い。微妙な綱渡りを我々はしていかなければならないのだ。