コロナ禍で迎えた2度目の「復活祭」

新型コロナウイルスの感染拡大は世界の状況を根底から変えてしまった。宗教の世界でも同様だ。世界に13億人以上の信者を抱える最大のキリスト教会、ローマ・カトリック教会総本山、バチカンでは今年も巡礼者や旅行者のゲストもなく、限られた信者たちだけで祝う、寂しい復活祭となった。

▲ウィーン市16区のカトリック教会(2021年4月ウィーンで著者撮影)

フランシスコ教皇は4日、サンピエトロ大聖堂で復活祭の記念礼拝を行った。教皇はそこで信者たちに向かって「ウルビ・エト・オルビ」の祝福を発した。今年の復活祭では、大聖堂の記念礼拝に招かれた信者の数は昨年より増えた。当方はオーストリア国営放送でバチカンの記念礼拝のライブをフォローした(「羊たちのいない教会の『復活祭』」2020年4月13日参考)。

復活祭はイエスの生誕を祝うクリスマスと共にキリスト教会の2大祝日だ。イエスが十字架上で亡くなって3日目に復活したことを祝うイースターはキリスト教がユダヤ教から離れ、イエスの福音を述べ伝えるキリスト教としてスタートを切る契機となった祝日だ。

そのキリスト教を導いたのはイエスを生前知っていた弟子ペテロやヤコブではなく、生前のイエスと一度も会ったことがなかったパウロだった。彼は復活したイエスに出会って回心した熱心なユダヤ教徒だった。パウロはその後、ユダヤ教の割礼より「心の割礼」を強調し、ユダヤ教の壁を超え、世界にイエスの福音を広げていった。弟子ペテロやイエスの義弟ヤコブのように、パウロが生前のイエスを知っていたならば、ユダヤ教の殻から抜け出すことは難しかったかもしれない(「『原始キリスト教』の本流と傍系の話」2021年2月1日参考)。

復活は文字通り、「死」から「生」に生き返ることを意味する。神の子イエスが死に打ち勝った日だから、ドイツ語圏では「Frohe Ostern」とあいさつして、その日を祝う。このコラム欄でも既に報じたが、死んだ後、生き返った人間は新約聖書の世界では、イエス1人ではない。イエスの友人ラザロは死んだ4日後に蘇り、そして病死した12歳の娘もその父親の信仰ゆえに復活の恵みを得ている。すなわち、新約聖書の世界では少なくとも3人が死から生き返っている。イエス以外の2人は肉体的復活を意味することから、奇跡といわれている(「『復活』したのはイエスだけではない」2021年3月12日参考)

21世紀の今日、死んだ人間が生き返るという話は非科学的だと一蹴される。聖書の世界では「死」は単なる肉体的な死ではなく、霊的な死を意味することが多い。生きている人に向かって、イエスが「あなた方は生きているのは名ばかりで、実は死んでいる」と語ったことがあるが、この場合、後者の「死」を意味する。そして後者の「死」から生き返ることが復活を意味するわけだ。キリスト教的に言えば、霊的に生まれかわることを意味する。無神論者が神に出会い、人生の目的などに覚醒した場合、「彼は生まれかわった」と表現される。その意味で、復活現象はイエスの時代だけではなく、21世紀の現代でも世界の至る所で起きている。

新型コロナウイルスで世界中で、多くの感染者、犠牲者が出ている。そのような中で、神について考える人々が出てきたという。現代人は自由を享受していた時には神を忘れていたが、自由が制限されだしてから神について考えだす人々が増えてきたというわけだ。

▲映画「神様にインタビュー」のポスター(「クリスチャン・ツデー」公式サイトから)

ところで、タイトル名に惹かれて「神様にインタビュー」(原題:An Interview With God)という題の米映画を最近、観た。若き記者が3日間にわたり、1日25分間、神とインタビューする話だ。ジャーナリストのポール・アシェル(主演ブレントン・スウェイツ)が、神を名乗る男性と会ってインタビューをし、自分の人生と信仰について問題点があることに気付いていく姿を描いている。神様役はアカデミー賞ノミネート俳優のデビッド・ストラザーンだ。関心のある読者は一度観られたらいいだろう。

当方はこの映画を見た後、神とインタビューができるならば、何を質問するかを考えた。質問は無数ある。質問をリストアップしようと考えたが、聞きたいことがどんどん膨らんできて、その数が余りにも多くなったので書き出すのは止めてしまった。

読者の皆様は神とインタビューできるとすれば、何を聞きたいだろうか。ビックバーンで宇宙が創造された後、神はどこにおられたのだろうか。マザー・テレサはイエスの声が聴けないことに悩んだ。コルカタ(カラカッタ)で死に行く多くの貧者の姿に接したテレサには、「なぜ、神は彼らを見捨てるのか」「なぜ、全能な神は苦しむ人々を救わないのか」「どうしてこのように病気、貧困、紛争が絶えないのか」等の問い掛けがあった。ジークムント・フロイト(1856~1939年)は愛娘ソフィーをスペイン風邪で亡くした時、後日、「運命の、意味のない野蛮な行為」と評している(「マザー・テレサの苦悩」2007年8月28日参考)。

マザー・テレサやフロイトだけではない。多くの人々が様々な悲しみを体験している。愛の神に対し、「あなたはその時、どこにおられたのですか、なぜ救われないのですか」という呟きを抑えきれなくなる人が少なくない。多くの人々が新型コロナで犠牲となり、紛争で亡くなっている。当方は「神様にインタビュー」したい。2021年の「復活祭」は、神とインタビューするチャンスではないだろうか。ちなみに、先の映画の中で神は「私はどのような質問にも答える用意がある」と述べている。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年4月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。