ワクチンで沈む「日本モデル」

篠田 英朗

私は各国の新型コロナ対策の特徴に関心を持ち、何度かブログに書いてきた。日本には日本の特徴があった。第一に、量は不足しているが重症者対応の質は高い医療機関、第二に、量は不足しているが経験豊富なクラスター対策、第三に、指導者能力は不足しているが国民の平均的能力は高い行動意識などが、検査能力や法制度の不備などの諸点とあわせて、日本が負っていた所与の条件であった。

peterschreiber.media/iStock

この条件の中で、一年間以上にわたって、「三密の回避」対策等に象徴された「日本モデル」は、日本の短所を補い、長所を活かす作戦として成果を出した。

ちなみにNHK特集などの断片的な報道の影響で、未だに知識人層にすら誤解が残っているので、改めて書いておくが、「日本モデル」の中心は、「クラスター班の活躍によるウイルス撲滅」などではない。「三密の回避を通じた国民によるクラスターの予防」である。もう何度も書いたことなので詳しくは繰り返さないが、クラスター対策でウイルスの撲滅などできるはずがないし、一部の狂信的な専門家の方が主張されただけで、専門家会議=分科会の主要メンバーは誰もそれを目指していない。

全国民PCR検査など、神話は、他にも沢山あった。そうしたいい加減な神話に惑わされることなく、よく現実を見据えた「抑制」政策を進めることができたのが、「日本モデル」の成果であった。

これは疫学的知識だけでなく、現実的な枠組み内での政策判断につなげる発想の所産であった。社会科学者として尾身会長や押谷教授の取り組みに感銘を受けた私は、尾身茂・分科会会長や押谷仁教授らを「国民の英雄」と呼んで称賛してきた。

この2020年2月の専門家会議招集に伴って設定された初期目標にそった「日本モデル」の取り組みは、まだ現在も続いている。

だが世界情勢は変わった。ゲームチェンジャーとしてのワクチンの開発がなされ、接種が急速に進んだからだ。

ワクチンの重要性については、私も一年前の去年の4月から、念のための整理を行ってきた。もちろんその重要性は国際政治学者などが書かなくても、誰にとっても自明であっただろうから、日本でも行政が準備を進めていたはずだった。実際のところ、日本のワクチン接種は、アメリカから遅れることわずか2~3カ月程度で始まっている。これは普通に考えれば、遅すぎるとは言えない時期での輸入開始である。

日本でワクチン開発ができなかったことをもって政府を責める方もいらっしゃるが、非現実的だと思う。そういう「100メートルを10秒で走れ!と言ったのになぜ10秒で走らないんだ!この無能め!」といった批判には、何の意味もない。日本がワクチンを開発しないだろうことは、一年前の国際政治学者でも知っていた。単に実力がないのだから、仕方がない。

それよりも深刻なのは、状況認識の欠如である。

マスコミ報道のみならず、知識人層でも、日本が自国でのワクチン開発に失敗したので、今でも国民のほとんどが接種できていない状態にある、といった「物語」が蔓延している。

そんなバカな話はない。やはりNHKの特集に取り上げられて有名になったイスラエルなどは、自国での開発など全く行っていない。

ワクチン輸入とワクチン普及を混同しているケースも多々見られる。輸入しても、接種が進まなければ、意味がない。

総合的なプロセス管理が必要なのである。しかし総合的なプロセス管理が必要だ、という問題の認識すらできていないのでは、管理ができるはずはない。

感染対策では、尾身会長や押谷教授ら、WHO職員としてSARS対応にあたった稀有な経験も持つ専門家の活躍で、急場をしのいだ。どうやらワクチン接種では、そうした救世主は現れそうにない。

1億2千万人に2回のワクチン接種を行うというのは、気が遠くなるような壮大なプロジェクトである。平時であれば、10年くらいの時間がほしいところである。それを数カ月単位でやろうと言うのであれば、ワクチンの調達だけでは克服できない。対象者管理の行政の体制構築が必要である。そこには輸送・会場・人員などをはじめとする領域で、平時では想定されない水準のロジスティクス管理が必要になる。

河野太郎・行政改革担当相は、「人口分は確保している。接種のスケジュールは自治体ごとに千差万別だ」と述べているが、この認識は正しい。ただ、その結果として発生することが予測される接種の遅れを改善するための手助けをしないのであれば、それはやはり無責任ではないか、という指摘が出ても仕方がないだろう。

現在までのところ日本では、一日10万人程度の接種が最高になっており、高齢者接種を開始した先週は、そのペースも下がってしまった。ちなみにアメリカでは、一日に300万人の接種が行われている。

雑誌『VOICE』の拙稿でふれたが、エリート層が立案した計画を、軍隊も動員した総合的ロジスティクス能力を駆使し、多彩なネットワーク力も発揮して、実施していくアメリカの様子は、やはり印象深い。初期対応で失敗しても、最後には結果は出す。国民の平均値には限界があっても、エリート層の総合的能力が高い。イノベーションの国である。

日本に必要なのは、「なぜワクチンを自国で開発できなかったのか!」などと怒ってみることではない。

自分自身を見つめ直し、長所と短所を把握して分析し、長所を伸ばして、短所を補う方法を考える思考だ。「彼を知り己を知れば百戦あやうからず」という基本である。

私は国際政治学者なので、厳しい対中国政策は必要だと思うが、だからこそいっそう同時に、日本人は「孫子の兵法」は繰り返し思い出してみるべきだとは感じる。