保てるのか、報道の平等性

性別問題を議論するうえで良い例が最近ありました。ファミリーマートが売り出した「お母さん食堂」という総菜ブランドにクレームをつけた3人の高校生の論理で「お母さん=女性=食事を作る人」よってこれはジェンダー問題だと。

昨年暮れ、署名活動をして7000人強の賛同を集め、議論とはなったもののファミリーマートはそのまま販売を続けています。

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1975年にハウス食品のTVコマーシャルで「私作る人、僕食べる人」というキャッチが婦人団体から猛反発を受け、日本における初めての本格的ジェンダー問題とされました。これと「お母さん食堂」はどう違うのでしょうか?

ハウスのCMは「作る」「食べる」という明らかな作業分担が明示されており、それが男と女に紐づけされています。これは世にいうジェンダー問題の典型的例になるでしょう。ところがファミマのケースでは「お母さん」を懐かしい味の思い出として捉えています。それはジェンダーではなく親なのです。「お父さん食堂」では何も感じない人が多いでしょう。ならば、「お父さんと日曜大工」だったらどうでしょうか?しっくりきます。それは生理学的に親と子供に接するにあたりもっともありそうなケースだということであり、両親をジェンダー問題とリンクさせるのは話が飛躍しすぎているのです。

ところがこれをどう判断するかは受け手の問題だし、ある家庭では「父子家庭」でお母さんがいないというケースもあるでしょう。そうなれば違和感があるのは理解できますが、世の中100人すべてを満足させることはできないのです。もしもそれを目指すならば平凡で創造性のない万人受けする使い古した言葉の羅列でしかなくなります。

問題はこのような案件がメディアで堂々とある方向性をもって報じられ、記者のバイアスと過激なタイトルで色付けされた内容が世の中を惑わせるのだと思います。

テレビニュースで街角インタビューをするとそのテーマについてAという意見とBという意見に関して概ね両方の意見を取り上げて放送します。しかし、世論ではAが9割、Bが1割の支持でもテレビニュースで5分5部で取り上げればこれは無言の偏向性を提示していると言えます。報道のバランスについては私がまだ学生の頃、社会学で敵対する二つの意見を提示することは重要である、と習ったのを覚えています。しかし、それはあくまでも敵対関係が概ね半々に分かれている場合であります。

ならばインタビュアーが10人に聞いて7人の意見の代表として〇〇、3人は△△だったといったある程度の比率の公表などの追加説明は判断の助けになるでしょう。

原発放射能処理水の廃棄の件で復興庁が広報用に3億円もかけて作った動画にゆるキャラを使っていたのですが、クレームが多く、動画公開中止に追い込まれました。私はちらっと見ました。そこまでカリカリするほどでもないと思うのですが、文句を言う人は声もデカいし、そもそもカッカ来ているところだったので火に油を注いだようなものだったのでしょう。

ただ、そのビデオに東京ドーム一杯分の水に対してトリチウムは目薬1本分だけというのは無知な私に極めてインパクトある報じ方でした。正直、分かりやすい!そこで私が思ったのは「ならば水分を蒸発させてトリチウムだけ取り出せばよいのではないか」と思ったのですがこれは素人の浅はかなつぶやきで流してもらって結構です。

ところで加藤官房長官のトークにインパクトがあまりない点も気になります。プレゼンテーションであるべきスタイルは何を強調したいのか、なのですが、加藤氏のそれは枠から一歩もはみ出さない安心感はあるものの強調したいことが伝わらないという弱点がある気がします。

報道が左傾化しているといわれます。これは世の中が平和である証拠で日本に限らず先進国ではありがちであります。それは様々な人々のインタレストを平等に取り扱うという意味で「いいとこどり」をしようとする結果であります。バイデン政権もそうですし、カナダの政権もそう。当地のBC州もそうで基本的にバラマキであり、いわゆる「餅蒔き」政策です。

一方、日本の左傾化は海外のような移民を含めた人種問題や目立った格差問題からきているわけではなく、戦前戦中の事情を踏まえ、戦後に顕在化した独特の動きであります。その背景は大戦の悲惨な結果が日本人の心に植え付けられたこともありますが、アメリカのWGIP(War Guilt Information Program)やシベリア抑留者の赤化、当時台頭した共産主義への傾注、学生運動や組合運動にみられる社会主義化など日本の歴史的背景に則ったものも大きな影響だと考えています。

一方報道関係をみるとNHKが中道と言いながら左傾化していますし、民放では報道番組が強いTBSは左傾化が顕著です。本来であれば日テレやフジがもう少し報道に力点を入れても良いと思いますが、むしろテレ東が一番まとも、という気すらします。

報道のバランス問題はなかなか解決しませんが、少なくとも受け手はそれに洗脳されないことを肝に銘じることかと思います。報道にいちいち難癖をつけろとまでは言いませんが、いままで鵜呑みしていたことをちょっとは咀嚼してみて自分なりの考えを持つことは考える力をつける上でも重要かと思います。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年4月21日の記事より転載させていただきました。