日本にGAFAが生まれなかった理由

小さな頃新大阪駅で見たひと際目立つガラス張りのかっこいいビルも、東大に入った時に「東大生ならば、東大新聞を定期購読するのが当たり前ですよ」と勧められたことも、岩手県の安比高原でスキーをしたことも、全ては江副浩正氏が仕掛けたことだったことが、『江副浩正』(2017年、日経BP社)、『起業の天才!―江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男』(2021年、東洋経済)を読んでようやく分かった。

コネ採用、指定校採用が当たり前の時代に、就職情報のプラットフォームを立ち上げた「企業への招待」。終身雇用が当たり前の時代に、転職のプラットフォームを立ち上げた「とらばーゆ」。町の不動産屋に地域のバラバラな情報しかなかった時代に、全国の住宅情報を統一したその名も「住宅情報」・・・。

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リクルート江副浩正氏の「情報の非対称性の解消」、「フラットな社会」への飽くなき追求がよく分かる。

それだけではない。川崎市、ニューヨーク、ロンドンに高機能なサーバーを置いて、24時間体制でレンタル。これは、今のAWSそのものの発想である。そのためにどんなに忙しくても、東大工学部などの情報工学に明るい学生と直接面接して採用を続けたのも情熱を感じる。

リクルートや江副氏と言えば、リクルート事件の印象が強かったが、これらの本を読んでみると、その発想力や人材登用力に驚愕する。

貧しく複雑な家庭で育ったからこそ、当時としては珍しく、学歴・国籍・性別に関係なく人材を登用。在日朝鮮人のため採用を断り続けられた箱根駅伝のエース金哲彦氏を全く気にせず採用、陸上競技部からは、有森裕子氏、高橋尚子氏等が育った。会社が大きくなっても社員に気軽に声をかける。

自ら機会を創り出し機会によって自らを変えよ』社員持株会をつねに筆頭株主とする「社員皆経営者主義」などのリクルートイズムの徹底により、リクルート事件で江副氏が会社を去った後も、優秀な人材を次から次に集め、輩出する。高度経済成長期の日本をけん引した企業の多くが、カリスマ経営者亡き後没落するのとは好対照だ。

リクルート社は、バブル崩壊の1兆円を超える有利子負債を公的資金の投入なく完済し、現在は売上高2兆円を超え、時価総額8兆円、日本7位の会社である。

人材育成は、リクルート社だけにとどまらない。自身が苦学したからこそ、広く給付型奨学金を創設。特に、日本にオペラ文化を根付かせるため、数十億円の寄付を行ったという。リクルート事件終結後、主任検事にもオペラの招待券を贈るのも贈りもの大好きで人を喜ばせたい江副さんらしい。

一方で、成功とともに謙虚さを失う姿、リクルート事件での葛藤、晩年の孤独なども描かれていて、人生の機微が身に染みる。

日本ではGAFAが生まれない、と言われるが、実は、リクルート事件で江副氏だけでなく、情報化にいち早く対応したNTTの真藤恒氏、日経新聞の森田康氏などが逮捕され、その後各社で情報化が一時期見直されたのも一つの要因ではないか、と考えた。



編集部より:この記事は、井上貴至氏のブログ 2021年4月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は井上氏のブログ『井上貴至の地域づくりは楽しい』をご覧ください。