「戦争ができない国」日本のコロナ対応の黄昏

「戦争ができない国」として制度設計された国家・日本の、コロナ対応の黄昏

こんにちは、音喜多駿(参議院議員 / 東京都選出)です。

3度目の緊急事態宣言を迎えて、

「どうして日本は、こんなに対応が上手くいかなかったんでしょうか…」

と何度となく聞かれました。

ワクチン忌避の長い歴史背景があったこと。

オリンピック・パラリンピックという目標が判断を鈍らせたこと。

欧米に比べて(理由は未だに不明ながら)死亡率が極端に低い油断があったこと。

どれも間違いではないし、数え切れないほど色々な理由はありますが、根底のそもそも論として日本が「戦争ができない国」として制度設計されてきたため、緊急事態にとことん脆弱であることが挙げられると思います。

【菅首相記者会見詳報】(7)「緊急事態対応の法律を改正しなければならない」
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総理のこの発言が大きな注目を集めているように、我が国には最高権力者の総理大臣ですら医療機関に対して「お願い・要請」しかできません

緊急事態に備えた仕組みというのが、(良くも悪くも)尽く不足しているのが我が国の実情です。

戦時に代表される緊急事態への対応というのは、権力・権限の集中を伴います。かつて痛ましい戦争に至った日本はその教訓から、政府に権限が集中する仕組みや制度を設けることを避け続けてきました

それは先人の努力として非常に貴いものだと思いますし、個人の自由や私権が政府・権力によって軽々に制限されないのは本当に素晴らしいことです。

しかしながら、戦時やそれに等しい今回のような感染症危機においては、その権力分散が仇になります。

世界各国に標準的に装備されている法制度や仕組みがないわけです。

個人情報保護の観点からマイナンバー制度の整備が進まず、一律現金給付などが迅速にできないことも、同じ理由・背景に寄るものだと言えるでしょう。

もちろん私は戦争なんて嫌ですし、自由主義者として私権の制限についても強い抵抗を覚えます。軽々に「権力集中ができる体制を、法律・憲法を作れ!」と申し上げるのは政治信条としても感情としても簡単ではありません。

ただ、以前にロックダウンを検討した記事にも書いたように、明確なルールがないまま「自粛要請」という謎の概念で事実上の私権制限が行われ、正直者が損をした挙げ句、結局は感染拡大を止められなかったという事実は胸に刻んでおく必要があります。

大災害がきても、感染症が起こっても変わることができなかった日本に、本当に戦争のような安全保障上の危機が訪れた時、世界に伍する対応ができるのだろうか。

私権制限や医療出動などを強制するとすれば、どんな場合に、どこに線引きをして実行するべきなのか。

私たち政治家が避けては通れない命題であり、多くの人に考えてもらいたいことでもあります。

法改正・憲法改正そのものは平時にやるとしても、明日から緊急事態対応と並行し、しっかりと議論をしてまいりたいと思います。

それでは、また明日。


編集部より:この記事は、参議院議員、音喜多駿氏(東京選挙区、日本維新の会)のブログ2021年4月24日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は音喜多駿ブログをご覧ください。