原宿竹下通りが「地方都市のシャッター商店街化」の衝撃

原宿に用事があって、久しぶりに竹下通りに行くと、以前とは別世界の風景が広がっていました。

平日でも、いつもなら外国人や修学旅行の中高生で大混雑しているメイン通りは、まるで地方都市のシャッター商店街のように人気がありません(写真)。

路面の雑貨店などが当面休業の張り紙をしていたり、ファストフードのチェーン店も次々と撤退しています。シャッターが下りた店舗にはテナント募集の張り紙がしてありました。

地元の人の話によれば、以前は路面の数坪の小さな小屋のような店舗でも、月300万円の家賃という場所も珍しくなかったそうです。コロナ禍で人通りは、見たところ3割以下に減ってますから、坪100万円でも借り手は付かないでしょう。

さらに大きな問題は、小規模な飲食店とは異なり、コロナ感染がピークアウトしても、原宿の竹下通りには客足が戻らない可能性が高いことです。

竹下通りは、世界中から多様な人が大量に集まり、混沌かつ雑然とした雰囲気が他の街にはない魅力でした。そんな熱気のある雰囲気の中で雑貨やお土産を買うのを楽しみ人が集まっていました。

しかし、櫛の歯が欠けたように店舗が空いて、活気ある街としての魅力がなくなれば、出かける人の数も少なくなり、それがまた人出を減らすと思います。

そうなれば、メディアからも注目されなくなり、他の商店街と似たような普通の繁華街になり、わざわざ行く人は少なくなってしまいます。

飲食店もアルコール提供自粛要請で厳しい経営状態ですが、緊急事態宣言中には休業補償もあります。何より、元の環境になれば足を運んでくれる常連客が存在します。

大規模店舗やチェーン店は厳しい環境ですが、小規模の固定客のいるお店は、生き残れば復活できる可能性があるのです。

竹下通りは不特定多数の顧客を相手にし、客単価も安く薄利多売の高回転売買で成り立つビジネスモデルです。以前のような、人垣で動けないくらいに路上に人が溢れる状態にならなければ、復活することは難しいのではないでしょうか。

環境が変わると、勝者があっという間に敗者になってしまう。氷河期の恐竜を見るような、ビジネスの変化の激しさを感じました。


編集部より:このブログは「内藤忍の公式ブログ」2021年5月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は内藤忍の公式ブログをご覧ください。

資産デザイン研究所社長
1964年生まれ。東京大学経済学部卒業後、住友信託銀行に入社。1999年に株式会社マネックス(現マネックス証券株式会社)の創業に参加。同社は、東証一部上場企業となる。その後、マネックス・オルタナティブ・インベストメンツ株式会社代表取締役社長、株式会社マネックス・ユニバーシティ代表取締役社長を経て、2011年クレディ・スイス証券プライベート・バンキング本部ディレクターに就任。2013年、株式会社資産デザイン研究所設立。代表取締役社長に就任。一般社団法人海外資産運用教育協会設立。代表理事に就任。