「歴史」に翻弄される北マケドニア

長谷川 良

日本語に「弱り目に祟り目」という諺があるが、不幸なことが重なって襲ってくる状況をいう。ドイツ語でも「ein Ungluck kommt selten allein」という表現がある。ギリシャとの「国名変更問題」がやっと解決したと思っていたら、今度はブルガリアから「マケドニア語はブルガリア語の方言」という問題で、ソフィアから「それを認めない限り、欧州連合(EU)加盟を阻止する」と警告を受けているのだ。北マケドニアの話だ。

▲国名変更で合意したギリシャのツィプラス首相(左)とマケドニアのザエフ首相(いずれも当時)2018年6月17日、Wikipediaから

まず、読者は北マケドニア人になって考えてみてほしい。アテネから国名の変更を要求され、泣く泣く受け入れて「マケドニア共和国」から「北マケドニア共和国」に国名を変更したばかりだ。国名の変更を要求したギリシャもギリシャだが、それを渋々と受け入れたマケドニアもマケドニアだ。あれもこれも、EUに加盟したいからだ。もう少し厳密にいえば、EU加盟国となることで経済的発展を成し遂げたいからだ。そのためならば、馴染んできた国名を変えてもよしとしたわけだ。ただし、歴史的、民族学的に国名変更を納得した結果ではないことは明らかだ。やむを得ず、この場はアテネの要求を呑んでおく、といった実務主義的な判断が働いたのだろう(北マケドニアは2020年3月27日、北大西洋条約機構(NATO)に加盟した。NATO加盟では反対はなくスムーズに実現した)。

マケドニアは1991年、旧ユーゴスラビア連邦から独立、アレキサンダー大王の古代マケドニアに倣って国名を「マケドニア共和国」とした。ギリシャ国内に同名の地域があることから、ギリシャ側から「マケドニアは領土併合の野心を持っている」という懸念が飛び出し、両国間で「国名呼称」問題が表面化した。ギリシャ側はマケドニアが国名を変更しない限り、EUとNATOの加盟交渉で拒否権を発動すると警告した。そのため、マケドニアはギリシャ側と国名変更で協議を重ね、2018年6月17日、ギリシャ北部のプレスパ湖で両国政府が国名を「北マケドニア共和国」にすることで合意(通称プレスパ協定)した経緯がある。

そして今年3月、ブリュッセルと(EU本部)の間で加盟交渉を開始することで合意した矢先、ソフィアから「マケドニア語はブルガリア語の方言」という趣旨の宣言を受け入れよと要求されたのだ。「国名」を変更し、次は「言語」の発祥問題でソフィアから脅迫され、「EU加盟したければ、受け入れよ」と脅迫されているわけだ。EUは現在27カ国だが、加盟前に国名変更、自国語発祥問題で妥協、ないしは譲歩してまで加盟した国はない。北マケドニアが初めてだ。

北マケドニアの苦悩は「EU拡大問題では加盟国全員の承認が得られなければ実現されない。加盟国の一国でも反対すれば、加盟できない」という現行システムがあるからだ。バルカン諸国のEU加盟を積極的に支援するオーストリアのシャレンベルク外相は、「北マケドニアは加盟交渉のために、これまで果敢に改革を実行してきた。余りにも過酷な条件だ」と同情している。

ちなみに、EUのヴァールヘイ委員(拡大交渉担当)は、「次期加盟国交渉はアルバニアとだけ始め、北マケドニアはもう暫く待つべきだ」と述べ、西バルカン諸国に大きな衝撃を投じた。なぜならば、EU理事会は1年前、アルバニアと北マケドニア両国と加盟交渉を始めることに同意していたからだ。

「国名変更」問題でも「言語の発祥」問題でも、立場によって見解が異なってくるから、ここでは余り深入りしない。ブルガリアに住む多くのマケドニア人はブルガリア国籍を得るために「マケドニア語はブルガリアの方言」という宣言書に署名している。その動機は、繰り返すが、言語学的にブルガリアの主張が正しいからというより、ブルガリア国籍を獲得するほうが生きて行くうえで有利だという判断があるからだ。その意味で、北マケドニアは近い将来、自国語がブルガリア語の方言だというソフィアからの要求を国名変更と同様、受け入れる可能性は十分ある。あれもこれも、EUに加盟したいからだ。

蛇足だが、北マケドニアが加盟を目指すEUから英国は今年1月31日、離脱したばかりだ(通称ブレグジット)。その主要目的は「英国の主権復帰」だ。北マケドニア国民は英国の主張をどのような思いで聞いてきただろうか。唯々、加盟すれば問題は全て解決すると安易に考えているとすれば、北マケドニア人は失望するだろう。

ハンガリーをみてほしい。加盟前は北マケドニアと同様、加盟こそ全ての解決策と考えてきたが、オルバン現政権はブリュッセルの忠告を無視し、ロシアと中国に急傾斜している。ブリュッセルからの経済支援、補助金がなければ、英国と同様、EU離脱を模索するかもしれない。メリットがデメリットよりまだ大きいからとどまっているに過ぎない。

北マケドニアが直面する問題を考えると、どうしても「歴史はどこまで遡らなければならないのか」というため息交じりの思いが出てくる。オスマン帝国下にあったマケドニア人は第一次世界大戦後、ギリシャ、セルビア、そしてブルガリアに分割され、その地で独自の発展をしていったわけだ。「その前は」、そして「その後は」どうだったのか、と考えると歴史の深い闇の中に落ちていくような不安を感じてしまう。

史実の是非を知るためにどの時代まで人は遡るべきだろうか。現在生きている我々の生き方を知るという面でいえば、イエスが降臨した2000年前までかもしれない。キリスト教神学がユダヤ教を土台として発展してきた、という観点から言えば、ユダヤ人が登場するアブラハムが生きていた時代まで遡らなければならない、といった具合だ。

イタリアの法学者チェーザレ・べッカリーア(1738~94年)は著書『犯罪と刑罰」の中で、「歴史のない国民は幸福である」と書いている。北マケドニアの国民も今、同じように感じ出しているのではないだろうか。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年5月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。