ウィーンに「イスラエル国旗」が出現

アルプスの小国オーストリアは冷戦時代から東西両欧州の橋渡し、調停役を演じることでその外交は注目されてきた。そのオーストリア連邦首相府の屋上に14日、同国の国旗、欧州連合(EU)の旗と共に「イスラエル国旗」が掲げられた。クルツ首相は同日、ツイッターで「イスラエル国民への連帯表明だ」と強調し、「ハマス(パレスチナのガザ地区を拠点とするイスラム過激組織)からミサイル攻撃を受け、多くのイスラエル国民が犠牲となっている」と説明した。なお、外務省建物でも同日、イスラエル国旗が屋上に掲げられた。

オーストリア連邦首相府の屋上でなびく「イスラエル国旗」(左)クルツ首相の公式ツイッターから、2021年5月14日

イスラエル国旗がオーストリア連邦首相府屋上に掲げられた写真が配信されると、「オーストリアは過去、紛争勢力間の調停外交でその名を高めてきたが、イスラエルとハマス間の紛争でイスラエル側を100%支持することで、その役割を捨ててしまった」という批判と戸惑いの声が出てきた。

冷戦時代、オーストリアには200万人以上の政治亡命者が旧ソ連・東欧諸国から流れてきた。彼らを収容することでオーストリアは「難民収容国」と評価される一方、ケネディ米大統領とフルシチョフ・ソ連共産党第一書記の米ソ首脳会談が1961年6月、ウィーンで開催されるなど、多くの国際会議を開催してきた実績がある。クライスキー政権(1970~83年)が中東和平の調停役を演じ、同国出身のワルトハイム国連事務総長(在任1972~81年12月)は積極的な中東和平外交を展開し、その調停役がパレスチナ寄りとして米国やユダヤ系団体から批判を受け、国連事務総長3選の道が閉ざされてしまったほどだ。

そのオーストリアでクルツ首相は14日、首相府の屋上にイスラエル国旗を掲げさせ、イスラエ国民への連帯表明をしたわけだ。同首相はツイッターではガザ地区でイスラエルの軍事攻撃で亡くなったパレスチナ人については一度も言及していない。野党側からは、「クルツ首相はトランプ前米政権のイスラエル完全支持路線を継承している」と冷笑を受けている。ちなみに、オーストリア通信(APA)によると、チェコやスロバキアでもイスラエルへの連帯表明としてイスラエル国旗が掲げられているという。

イスラエル軍とハマスとの紛争の直接きっかけは、ハマス側からのミサイル攻撃だ。ただし、軍事力で圧倒するイスラエル軍の反撃を受け、ガザ地区で多数のパレスチナ人が犠牲となっている。そのニュースが報じられると、いつものように、欧州各地でイスラエルの軍事攻勢を批判する声が高まった。抗議デモのエスカレートを恐れたフランスではパレスチナ系住民の抗議デモ集会開催を禁止。オーストリアやドイツはイスラエル大使館やシナゴーグ(ユダヤ教会堂)の警備を強化し、イスラム過激派テログループの襲撃を警戒している、といった有様だ。

イスラエルのネタニヤフ首相は、「ハマスの軍事拠点を徹底的に破壊する」と宣言、地上攻撃を開始する姿勢を崩していない。それに対し、イスラエル国内でもユダヤ系国民ばかりか、アラブ系国民の中に政府の軍事攻撃を批判する声が高まってきた。事態のエスカレートを恐れたエジプトや米国はイスラエルに紛争の調停を申し込んでいるが、イスラエル側は拒否したという。

そのような状況下で、クルツ首相が早々とイスラエル支持を表明し、イスラエル国民への連帯を明らかにしたことから、ウィーンを中心に居住するパレスチナ系住民のコミュニティで不満と反発が高まっている。内務省は抗議デモの過激化、暴発事件を警戒している。オーストリア国営放送(ORF)の著名な外交問題専門家、ファイファー記者は、「イスラエル国旗の掲揚はわが国の中東外交での橋渡し役を失うことになる」と警告している。また「オーストリアの中立主義に反する」と指摘する意見も出ている。

普段は冷静なクルツ首相がなぜ突然イスラエル国旗を首相府や外務省の屋上に掲げさせたのか、という疑問が出てくる。考えられる点は、①クルツ首相がイビザ問題調査委員会で偽証容疑で追及されている。そこでメディアの関心を逸らせるため、イスラエルの国旗掲揚といったパフォーマンスを演じた、②バイデン米大統領とロシアのプーチン大統領との首脳会談の開催地争いで米国側の支持を得るため、③クルツ首相は3月4日、デンマークのフレデリクセン首相と共にイスラエルを訪問し、新型コロナウイルスへのワクチン接種を進めるネタ二ヤフ首相と会談したばかりだ。ちなみに、ネタニヤフ首相は国旗の件でクルツ首相に感謝を伝えている。両首相はうまがあうのだ。

いずれにしても、「パレスチナ人問題」でクルツ首相が今回、イスラエル側支持を明確にしたことから、オーストリアの中東外交はその歴史を閉じることになるかもしれない。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年5月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。