官僚ほどつまらない商売はない

私は一時、官僚に憧れたことがあります。いや、正直言うとキャリア官僚になるため受験もしました。なぜ、憧れたのか、といえば日本の知的集団として実務的に国家運営をつかさどる機関であると思ったからでしょう。あるいは若いころに聞きかじった中国の科挙に対する一面を見たのかもしれません。その後、城山三郎の「官僚たちの夏」を読んだときはやはり官僚にはなれなかったけれど目指した自分の目は狂っていなかったと思ったものです。

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ですが、その後、官僚は叩かれます。大蔵省の「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」あたりからでしょうか?その後の不正、品格の劣化、能力的偏りをみて情けないと思います。が、正直申し上げると別にノーパンしゃぶしゃぶは官僚以外の方も行っていたはずで彼らが高貴な役人という勝手なイメージを国民が持っていただけともいえます。「官僚も普通の人」であって金も女も普通に好みます。別に「英雄色を好む」というレベルの話でもありません。宗教革命のときに聖職者が失墜した話や科挙の腐敗といった大げさなレベルでもないと思います。つまりただの試験に合格した役人であって高貴、上級国民の人間的土台はそもそもありません。

その昔、金融機関の方への接待が最悪と言われたのはご存知の方は少ないでしょう。普段は真面目で身なりもきちんとして髪の毛一本乱れない硬派なイメージは嘘で、出張に行けば酒の飲み方は下手だわ、しつこいわ、何次会までもつきあわせるわで私は一番苦手な相手でした。

さて、日本にも三権分立は当然あり、小学校で習うのですが、本当に三権分立なのか、考えたことはありますか?日本で独自の裁量権を持っているのは裁判所と日銀、(もしかしたら検察も)です。裏でどうなっているかは別ですが、基本的には独立していると思います。では立法と行政はどうなのか、といえばこれほど密接につながっているものはなく、三権分立は形骸化していると思うのです。

官僚のトップである事務次官の上司は誰でしょうか?政治家出身の大臣、副大臣、政務官です。人事権もあるでしょう。大臣がお前はクビだ、と言えば事務次官以下幹部はいつでも飛ばされます。文書改ざんをするのは忖度があるからだ、とされますが、「上司に揉み手」は何処の世界にもあること。つまり、われわれは役人の品格をいろいろ言いますが、結局、立法の立場である役人は立法者の権限というより行政者である内閣が立法方針を決め、役人はそれを作り、あるいは作った法律を守るよう「下界」に実務的指導をするという役割になってしまいます。これほど「事なかれ主義」を醸成する組織はないのです。

つまり官僚とは企業でいう実務をこなす万年課長であり、事務次官は本当に次官という名の通り、部長でもなく役員でもなく、ましてや裁量をもった決定権者でもないのです。これでは官僚は育ちません。いわゆるキャリア試験(総合職試験)の受験者は安倍政権発足後の2012年から一貫して下がり、2.5万人の志願者が2割減の2万人にまで落ちています。

では行政をつかさどり、立法を議会で決定する政治家はそんなに偉いのか、といえば私には疑問符がたくさんつきます。官僚の品格がとやかく言われますが、政治家の品格も最近の不祥事の連続だけを見ても大差ないのです。もっともこの構図は何処の国でも似たり寄ったりであります。

かつて鳩山内閣が脱官僚主義を目指したことがありましたが政治家にそこまで権限を持たせるのが正しいわけではありません。一方、現在の与党も官僚を「重要な人的資源」であり「知恵を活用することが大切」(高市早苗議員のH21年の質問書)と官僚は政治家の駒扱いであることは否めません。

これでは知能集団は腐ります。誰もキャリアなんてなりたくないでしょう。東大を出て「(立法をするという意で)ペンは剣よりも強し」より早稲田を出て「(国会で)弁が立つ」ほうが有利となれば官僚は「沈黙は金、雄弁は銀」と割り切るはずです。学習塾業界では「やる気を引き出す〇〇メソッド」なるものが花盛りですが、官僚のやる気を引き出すことは日本におけるバランスある社会構成を作るには一考すべき点かもしれません。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年5月17日の記事より転載させていただきました。