いよいよ正念場、LGBT修正法案の問題点とは

松浦 大悟

与野党協議で示されたLGBT修正法案は、自民党の会合において議論が紛糾した。本来の自民党案では「性同一性」だった部分が「性自認」に変えられたこと、また「性的指向及び性自認を理由とする差別は許されないものであるとの認識の下」という一文が追加されたことが理由だ。何とか党内手続きを進める了解は取ったものの、政調審議会でも反対議員が続出。総務会でどのような展開になるか、LGBT当事者は固唾を呑んで見守っている。

FotografiaBasica/iStock

既存マスコミは「差別を許さないという当たり前のことさえ自民党は認めないのか」といった論調で伝えているが、筆者は自民党議員が慎重になっているのには十分な合理的理由があると感じる。性別適合手術を廃止して戸籍上の性別変更を性自認のみで可能にしていこうというトランスジェンダリズムの問題は過去の拙稿で指摘した通りだ。今回は後者、つまり「何をもって差別とするのか」を規定していないLGBT法のリスクについて具体例を挙げながら考えていきたい。

野田聖子幹事長代行は取材に対し、「内心の自由はあるが、本人たちが差別だと感ずることについては差別なんだと。それは無くしていかないといけない」と語ったという。ではLGBT活動家は何を差別だと主張しているのか。彼らの「お気持ち」に従い、彼らが差別だと言うものをそのまま国家が差別だと認定することでどのような社会が訪れるのかを見ていこう。

ケース1 草彅剛氏も差別者?

映画『ミッドナイトスワン』HPより

皆さんは映画『ミッドナイトスワン』(公式HP)をご覧になっただろうか。タレントの草彅剛氏がトランスジェンダー役を熱演して話題となり、筆者も劇場で涙を流した。しかしLGBT活動家は、この映画を差別だと訴えている。スクリーンには性別適合手術後に合併症になる状況が映し出されるが、こうした案件は現在ではほとんどなく、トランスジェンダーの一生を悲劇的に描く演出は若い当事者に不安を抱かせると彼らは非難する。そしてトランスジェンダーの役をそうではない俳優が演じることは当事者の仕事の機会を奪う「搾取」だと、様々なメディアで告発していった。実際にアメリカでは、生得的女性であるハリウッド女優がトランス男性役を得たことでLGBTに猛攻撃され、彼女は謝罪をすると同時に降板した。もし修正案が可決されれば、草彅剛氏は『ミッドナイトスワン』に出演したのは間違いだったと認め、お詫びしなければならないかもしれない。この映画は日本アカデミー賞の最優秀作品賞と最優秀主演男優賞を獲得しているが、貴協会は差別を助長したとして叩かれるかもしれない。

だが、活動家の主張は本当に正当だろうか?去年『誰かの理想を生きられはしない』を出版したトランスジェンダーの吉野靫氏は、2006年の手術後に患部が壊死し、大学病院を提訴した経緯を報告している。決して医療事故がないわけではない。また、当事者しかその役を演じてはならないとすれば、論理の帰結としてトランスジェンダーはトランスジェンダーの役以外は演じられないことになる。それこそ選択の幅を狭めていると言えないか。唯一無二の役者である草彅剛氏が演技したからこそ、この映画は共感を呼んだ。「トランスジェンダーの苦悩を知ることができて目からうろこが落ちた」との大勢の観客のレビューを読めば読むほど、筆者にはどうしてもこれが差別だとは思えないのだ。

ケース2 政治的主張の違いも差別?

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日本維新の会の音喜多駿参議院議員は、憲法学者の木村草太氏からネット番組で差別主義者だと名指しされた。同性婚訴訟札幌地裁判決を伝えるマスコミについて「『同性婚できないのは憲法違反』報道はミスリード」と述べた音喜多氏に対し、解釈改憲での同性婚が持論の木村氏は、故意にデマを流そうと差別で喋っていると断罪したのだった。番組に出演していたLGBT当事者からは大きな拍手が起こった。もし修正案が成立すれば、この一方的な決めつけが真実として認知され、音喜多氏は議員辞職に追い込まれるかもしれない。

「差別」の定義が何も決まっていない法律になぜ自民党が警戒心を持つのか。それは左派と親和的なLGBT活動家が、政敵を簡単に失脚させる可能性を持つからだ。筆者が以前書いた記事に詳しいが、札幌地裁判決は「同性婚ができないのは憲法違反」だとは言っていない。事実婚のように、異性婚で生じる権利の一部くらいは同性愛カップルであっても享受できる制度を立法府は準備せよと促しているのだ。そして判決文からは、今ある婚姻制度に同性婚を組み入れるためには、やはり憲法改正が必要だということも読み取れる。政治的主張の違いも差別だとされれば、我々政治家は何もしゃべれなくなる。

ケース3 恋愛相手を限定することも差別?

新宿二丁目にある老舗のレズビアンバー『Gold Finger』は、月に一回女性限定イベントを開催している。「安全に、安心して楽しんでいただける環境で、女性同士の出会いの場を作りたい」との思いで始めた催しだったが、そこにアメリカ人のトランス女性が訪れ、自分を店に入れるよう要求した。彼女は長身の白人で性別適合手術を受けておらず、妻と三人の子どももいた。店側は入店を断ったが、これを聞きつけたLGBT活動家は差別だとSNSで騒ぎ立て、店主を謝罪に追い込んだ。

こちらの画像を見てほしい。

これは国連の機関である『国連合同エイズ計画』の公式アカウントによる投稿である。

「もし彼女がトランスジェンダーであっても愛しますか?」

「ジェンダーアイデンティティは差別の理由になりません」

つまり国連は、「あなたの付き合っている彼女が性別適合手術によって男性器を除去していないトランス女性だとわかったとしても、そこで恋愛感情が冷めたら差別だ」と言っているのだ。

性自認原理主義は、ヘテロセクシュアルの人たちだけでなく、同性愛者とも利益相反を起こす。ゲイを公表している共産党の小原明大市議(京都府長岡京市)は「性自認というのは本来尊重されるべきものであり、それを他人が頭から否定するのは人権を脅かす行為だと思います」とTwitterに書き込んだ。すると、性自認だけで判断する性別変更に反対している生得的女性から「私、今日からトランス男性になったので小原さんの恋愛対象にエントリーさせて下さい。乳房も生理もありますが、性自認が男性なのでいいですよね?この申し出を断るなら、トランス差別ですよ?」と皮肉を込めたコメントが寄せられた。もし修正案が施行されれば、ゲイやレズビアンが自らの性愛の対象を身体的男性/女性に限定することは差別になるだろう。

こうしたことを真剣に考えているマスコミは私の知る限りほとんどない。たとえば新聞テレビは「同性同士の結婚式を式場が断った場合など、様々な場面での訴訟が懸念される」という自民党議員の意見を差別だと伝えているが、その真意がわかっていないように思う。おそらくこれは実際にアメリカやイギリスで生じた事件を念頭に置いた発言だ。宗教的信念から同性愛カップルの結婚披露宴用のケーキを作ることを拒否した菓子職人、フラワーアレンジメント販売を断った花屋、結婚式の招待状の図案の依頼を突っぱねたデザイナーが訴えられた裁判は、アメリカ連邦最高裁でも判事の意見が割れた。同性愛者の権利と信仰の自由がバッティングした場合のことを、この自民党議員は懸念しているのだ。

以上見てきたような事案に対して「これらは差別ですか?差別ではありませんか?」と修正案提出者に尋ねても答えに窮すると思う。それが「差別」を組み込んでしまったこの法案の難しさなのだ。小学校の学級委員会のような「差別は良くない」といった素朴な話をしているわけではないのである。