カーボンニュートラル:誰も地球温暖化を恐れていない --- 井上 孝之

以前から気になっていたことに、カーボンニュートラルというお題目の前では水素のように少しの科学的知識があれば「おかしい」と思えるような主張でもまかり通ってしまうことがあります。多分、中学生くらいの科学少年・少女でも「水素でカーボンニュートラルなんかできるわけねーだろう」と思っているはずです。

Francesco Scatena/iStock

また、テレビ番組で水素を報道するときには、「消費時にはCO2を出さない」と強調されます。それは「生産時にはたっぷりとエネルギーを消費している」ということを報道する側も知っているからに他ならないからなのですが、「水素はいいもの」という前提で番組は進みます。

なぜ子供でもおかしいと思えることがまかり通っているかといえば、カーボンニュートラルの本当の目的は「地球温暖化の防止」ではないからだと思っています。なぜなら、本当は誰も地球温暖化なんか恐れていません。もし本当に地球温暖化を恐れているなら、別の意味で恐ろしい原子力発電とどちらが恐ろしいのかという議論も浮上しそうですが、原子力発電を話題に持ち出すことは「絶対タブー」です。

それでも、カーボンニュートラルを主張する人が現れるのは、下記のような理由だと思います。

周りから意識高い系と認知されたい

カーボンニュートラルを主張すると周りからは「意識高い系の人」と見なしてもらえます。そういうことに価値を感じる人はそうします。テスラの車に乗るような人や「環境にいいと言われるもの」を他の人から見えるところで使っている人もこれに該当します。ちなみに、テスラの車を試乗した勝間和代氏は「こんなペコペコな車、長時間乗ってられない」とおっしゃっておられました。意識高い系に見られたい人はペコペコの車に長時間乗る苦痛に耐える必要があります。

「俺様は正しい、お前は間違っている」と言って他人を罵倒して悦に入りたい

「俺様は正しい、お前は間違っている」と言って他人を罵倒することは最高の満足感を与えてくれます。だからネット上では炎上が絶えないのです。ポリコレに沿って他人を攻撃している限りは必ず同調者が現れるので、相手が反論してきても、大勢でフルボッコにすることができます。

ポリコレの流れに乗ることで利益を得たい

私の職場の部署長はその時々のポリコレのネタを熱心に取り組むことで、自分の存在をアピールして出世の階段を上ってきました。「そんなことしていくら儲かるんだ」という冷ややかな声に対しては「世の中の流れに沿うことこそ会社に対する最高の利益貢献」と言って批判を封じ込めてきました。彼を見て、一個人がポリコレが正しいかどうかを考えるよりも、「ポリコレは常に正しい」として、そこからいかに自分の利益に結び付けるのかに徹した方が個人の選択としては正しいのではないかと考えるようになりました。

科学者にとっても、水素がカーボンニュートラルをもたらすかどうかを考えるよりも水素エネルギーの研究を提案することで予算を取って食い扶持を確保した方が合理的な選択です。また、企業にとっても、社有車の一部を水素自動車にしただけで「環境にやさしい会社」という評価を得られるのであれば、その費用は広告宣伝費として割り切ればいいだけです。

なぜ政治家は実現不可能な目標を掲げるのか

政治家が実現不可能な目標を掲げるのは、「本当は誰もその目標の実現可能性について問題にしない」ということを知っているからです。だから、小泉進次郎氏の「おぼろげながら『46』という数字が浮かんできたんです」というような人をなめているような発言が許されるのです。

そもそも目標の年度が遠い将来なのは、

①その頃は自分は死んで責任を取る必要がない

②無責任な大衆は大昔の約束など覚えていない

③その頃には別のポリコレが流行っている可能性が高い

からです。そもそも世界中の人が飽きもせずカーボンニュートラルというお題目を何十年も唱え続けると考える方が不自然です。

政治家にとって大切なことは、「壮大な目標が実現しなくても言い逃れできる逃げ道を作っておくこと」であって、「壮大な目標を実現しようとすること」ではないと思っています。

井上 孝之
いくら出世のためとはいえ、「ポリコレは常に正しい」に徹することのできない技術系サラリーマン。


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