政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の会長を務める尾身茂氏への「政府高官」「自民幹部」からの批判が強まっている。また、経済学者の竹中平蔵氏も、出演した番組内で尾身会長の発言を「ひどい」と非難した。もちろん、非難や批判は自由である。
しかし、そうした批判は正しいのだろうか?先ず、自民幹部や竹中氏らは尾身会長の何を批判しているかというと、国会答弁で、東京五輪・パラリンピックについて「今の状況で(大会開催を)やるのは普通はない」「何のために開催するのか」と、開催リスクや危険性を尾身氏が警告したことであろう。その警告を「尾身氏は判断する立場にはない」(政府高官)、「言葉過ぎる」「やると言っている」(自民幹部)、「分科会がオリンピックのことを決めるわけじゃないのに、明らかに越権でね」(竹中氏)などと批判しているのだ。
竹中氏はテレビで正々堂々と発言しているから良いものの、自民幹部や政府高官なる者は顔出しもせず、名乗ってもおらず、それで尾身氏を非難するとは無礼であり、卑怯であろう。政治家なのだから、堂々と顔出しして、発言すべきである。そうでなければ、単なる便所の落書きと同じだ。
さて、自民幹部らは「尾身氏は判断する立場にはない」というが、そんな事は、尾身氏も十分分かっている。分かった上で、開催のリスクを警告しているのだ。借りてきた猫のように、尾身氏が大人しい方が、自民幹部連中にとっては嬉しいのだろうが、それでは、分科会会長でいる意味がないだろう。バシバシと政府に対して、意見を主張するくらいでなければいけないし、政府高官や自民党幹部もそれを歓迎するくらいでなければいけないはずだ。
五輪を「やるのは普通ではない」と言われたくらいで、怒るようでは、真の政治はできない。尾身氏らから十分に意見を聞いたうえで、柔軟性を持って対応するのが大人というものであろう。「やると言っている」という発言など、「やりたい、やりたい」と、駄々をこねる子供と一緒である。
戦後長く政権を担当してきた自民党幹部の発言がこれでは、泉下の吉田茂や岸信介、田中角栄も嘆いているのではないか。とにかく、勝手な時だけ、尾身会長はじめ専門家に依存し、都合が悪くなると、匿名で批判に回るとは何たることであろうか。