きのうの言論アリーナの山地憲治さん(RITE副理事長)の話で印象に残ったのは「カーボンニュートラルは本当に世界の潮流なのか」という話だ。地球温暖化が起こっていることは事実であり、何もしないと海面上昇や異常気象などの災害が増える可能性はあるが、それは世界のすべての国が何より優先すべきアジェンダなのか。
アメリカも中国も「2050年ゼロ」にはコミットしていない
実はカーボンニュートラルが盛り上がっているのは、EUだけである。アメリカのバイデン大統領は気候変動サミットで「2030年までにCO2排出50%削減」を約束したが、そういう法案が(共和党が半数を占める)議会で通る見通しはない。
中国の習近平国家主席は「2030年までにCO2排出量を減らす」と約束しただけだ。中国にとって最優先の課題は脱炭素ではなく、労働人口が減少する中で成長して政権を維持することだ。「2060年ゼロ」という約束は、そのときまで彼が国家主席でない限り無意味である。
パリ協定には法的拘束力がなく、「永久に1.5℃上昇に抑制する」というのは努力目標だが、今すでに産業革命から1.2℃上昇したので、実現は不可能である。「ゼロカーボン法」を制定した国はニュージーランドだけで、2050年までにGDPは20%下がるが、それによって地球の気温はまったく下がらない。
日本の「2030年までに46%削減する」という目標も、法的拘束力はない。ビジネスとして採算のとれないCO2排出削減には、RITEのレポートにも書かれているように100兆円規模の政府補助が必要だが、そんな予算措置が行われる可能性はない。
EUは2050年ゼロという方針だけは一致し、内燃機関を禁止するとか、国境炭素税を実施するとかぶち上げているが、次の図のようにEUのCO2排出量は、28ヶ国あわせても世界の9%しかない。世界の4割を占める中国とアメリカの協力なしでは、何もできないのだ。
いまだに世界を動かす衰退国EUの「ソフトパワー」
今やEUは、経済的にも軍事的にも衰退国の集まりにすぎないが、長年の戦争の中で蓄積した外交テクニックが、彼らの最大の政治的資源である。国際会議では彼らの美辞麗句が世界を圧倒する。
19世紀には、ヨーロッパは世界の陸地の80%を植民地にした指導者だった。20世紀は自由主義と社会主義のイデオロギー闘争の時代で、前者が全面的に勝利したが、指導者の座はアメリカに奪われた。
しかし華麗なレトリックで自国の利益を正当化する、ヨーロッパのソフトパワーは健在だ。EUの製造業が衰退する中で、その中心は経済成長を続けるドイツになっている。過激な脱炭素のリーダーもドイツである。
地球環境保護と環境破壊の闘争でヨーロッパが勝利したら、また帝国主義の時代のように世界を指導できるわけだ。「地球が滅びる」という終末論を伝道するのは、キリスト教のエートスである。
IPCCのようなアカデミアからグレタ・トゥーンベリのような子役まで動員して「人類の危機」を演出するEUの政治力は、その国力よりはるかに大きい。コンサルはそれを利用して「ESG投資」に投資家の金を集め、マスコミは「カーボンゼロ」で企業をあおる。
小泉進次郎は「第二の松岡洋右」
これは1930年代に似ている。当時はドイツやイタリアの全体主義が民主主義の限界を克服するイデオロギーとされ、ヒトラーが「第三帝国」で世界を制覇するようにみえた。日本の松岡洋右外相は「世界の潮流に乗り遅れてはならぬ」と日独伊三国同盟を結んだ。
その結果は、誰もが知る通りである。客観的にみれば、ドイツとイタリアの国力で世界を制覇できるはずもなかった。同じように、今EUがいくら頑張っても、中国とアメリカの乗ってこないカーボンニュートラルは、三国同盟のようなものだ。
EUの美辞麗句に乗せられて「カーボンニュートラルで世界に追いついた」という小泉進次郎環境相は、松岡洋右に似ている。演説はうまいが、その中身は「これが世界の潮流だ」という話しかない。「船に乗り遅れるな」というが、それが1930年代のような泥舟だったらどうするのだろうか。