ウィーンが「世界一」から転落した時

ウィーンのワルツ(オーストリア政府観光局公式サイトから)

この種のランキングに意味があるかどうかは別問題として、音楽の都ウィーン市が英誌エコノミストが9日公表した慣例の最新「世界の住みやすい都市」ランキングで12位に転落してしまった。昨年まで2年連続「世界一住みやすい都市」の名誉に輝いていたのにだ。それがベスト10にも入れなかった。その転落ぶりは少々ドラマチックだ。

そのニュースが流れると、音楽の都ウィーン市民の間には落胆する声が聞かれた。特に、観光業界関係者の嘆きは深刻だ。ボクサーがチャンピオンタイトルを奪われたように「世界で最も住みやすい都市」という名誉あるタイトルを失ってしまったという落胆だ。

9日の夜のニュース番組では早速、「ウィーン市が『世界一住みやすい都市ランキング』で12位に転落しました」と報じていた。市の観光業界関係者が「新型コロナウイルスの感染が大きな原因だ」と説明し、「悪いのは中国発のコロナウイルスだ」と述べていた。もっともな弁明だが、それにしても世界の都市を取り巻く条件に大きな差はない。冷静にいえば、ウィーンだけがコロナ禍に悩まされてきたわけではない。ウィーン市当局はむしろコロナ感染対策では優秀だ。ルドヴィク市長はコロナ規制の緩和をアピールするポピュラリストの政治家とは違う。市民の健康堅持を最優先してきた。

ウィーンではこれまで3回、ロックダウン(都市封鎖)が行われ、コンサート、劇場は閉鎖されてしまった。ホテルも閉鎖され、外国旅行者はゼロだ。アルプスの水を利用した美味しいウィーンのコーヒーを楽しめる喫茶店も閉店だ。これで「世界一住むやすい都市」のトップをキープしようとしても無理。

それだけではない。ウィーン市で昨年11月、イスラム過激派テロリストによるテロ事件が発生し、4人が死亡、多数が重軽傷を負った。欧州一治安が安定している都市を自負してきたウィーンのイメージが潰れてしまったばかりだ。「観光」とは「神の創造した世界の光を観る」という意味と聞いたが、これでは「神の光を観る」どころか、4つの壁に囲まれた部屋に閉じこもっていなければならない状況で、「世界一住みやすい都市」入りどころの話ではなくなる。

新型コロナウイルスの感染拡大は観光都市ウィーン市に大きなダーメージを与えたことは間違いないだろう。同時に、観光収入がなくなったウィーン市の財政も厳しくなった。ちなみに、2021年世界一住みやすい都市はニュージーランドのオークランド市で、日本の大阪は第2位、東京は第5位だった。ボクサー選手はタイトルを失ったとしても闘争心が続く限り再挑戦の道が開かれるものだ。ウィーン市の再挑戦に期待したい。

ところで、「世界一」は別として「住みやすい都市」とはどのような都市だろうか。治安、環境、人口、住居、医療事情、そして文化などの多方面から評価しなければならないだろう。ウィーン市にはそれらの条件は一応揃っている。モーツァルトやベートーヴェンにとってはそうではなかったのかもしれない。「服を着替える」ように引っ越しを繰返してきた音楽家だ。

ウイーン市の人口は180万人で、独ミュンヘンより少し多い。あと10年もすれば200万人都市となると予測されている。ウィーン市は東京都と同じ23区に分かれている。当方は初めてウィーンに住んだ時は18区に住んでいたが、そこから14区に引っ越しし、ここ10年以上、16区のオッタークリングに住んでいる。労働者の町だから朝は早い。5時過ぎには職場に行く労働者の姿が停留場にみられる。同区にはセルビア、クロアチア、トルコ系の移民家族が多く住んでいる。駅前の青空市場にはさまざま野菜、果物から衣服まで売り出されている。いい表現でいえば、活気があるが、18区のような静けさは期待できない。

オッタークリングでの生活は住みやすいか、と聞かれれば「住みにくい」と感じたことはないと答えざるを得ない。地下鉄と市電のネットワークが網羅されているので、移動にも問題がない。地下鉄を利用すれば、自宅から市内の中心地(1区)まで20分弱で着く。数年前まで毎日、外国人記者クラブまで通っていた。ドナウ川沿いにある国連機関までは約30分だ。その気になれば、ウィーンの森も近い。ベートーヴェンが愛した散歩道までは40分余りとかかるが、地下鉄とバスを利用すれば行ける。映画「第3の男」(原作グレアム・グリーン)の中にも登場した中央墓地までは1時間はかかる、といった具合だ。

ウィーン市は「世界一住みやすい都市」から転落したが、当方が知っているウィーンは12位に転落したとしてもその魅力、便利さは変わらない。そうそう、国際都市ウィーンには冷戦時代から世界の情報機関関係者がたむろしてきた。当方は昔、「スパイたちが愛するウィーン」(2010年7月14日参考)というタイトルのコラム記事を書いた。その内容は、今も変わらないだろう。ウィーンはスパイをも引き寄せる魔力を秘めている。その魔力に魅せられれば、そこから離れられなくなるのだ。あまり知られていないことだが、ウィーンには「元スパイ」、「元情報員」が案外多く住んでいるのだ。彼らは故郷に帰らず、いつまでもウィーンに住み続けているのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年6月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。