日経エネルギーNextが6月5日に掲載した「グローバル本社から突然の再エネ100%指示、コスト削減も実現した手法とは」という記事。
タイトルと中身が矛盾しています。
まず、見出しで「脱炭素の第一歩、再エネ電力へはこう切り替える」とうたい、記事の冒頭に「第1回はグローバル本社からの突然の指示で再エネ電力への切り替えを実施した製造業の事例です。」とあります。ところが、肝心の結論部分では「そこで、通常の電力は電力会社から調達し、年間の使用電力量(kWh)に相当するJ-クレジットを自社で取得して、再エネ電力への切り替えを進めることにしました。」となっています。つまり、この事例では従来の電力の調達を継続しており、電力会社や電力プランの切り替えを行っていないのです。使用電力量分の環境価値を購入して見かけ上のCO2排出量を相殺する「カーボン・オフセット」の事例なのですが、記事の全文を通して「再エネ電力へ切り替えた」と繰り返し述べています(数えたところ、見出しも含め13回)。
J-クレジットや昨今流行りの非化石証書は、過去のCO2削減実績や過去に発電された非化石燃料由来の電気が持っている環境価値を買うものであって、追加的なCO2削減効果は1グラムもなく、また1kWhも再エネ電力を生み出しません。これを「再エネ電力に切り替えた」と表現するのは意図的であれば悪質、非意図的であれば不見識ではないでしょうか。
仮に、この記事を読んで脱炭素に貢献できるのだと思い込んで環境価値を購入した企業が、後になってNGOなどから「CO2排出の免罪符!」「グリーンウォッシュ!」と糾弾されたとしたら、この記者や出版社はどう反応するのでしょう。J-クレジットや非化石証書は国が行っているのだからどんどん推進すべきだと言うのかもしれません。しかしながら、Jクレジットも非化石証書も現実世界での脱炭素には全く寄与しません。それどころか、これらの取引が活発化してクレジットの単価が下がると再エネ需要家がこちらに殺到し、手間もコストもかかる再エネ普及の足を引っ張ることにもなりかねません。
国はこんな手練手管や誤魔化しをやめて、正面から脱炭素の(是非も含めて)議論をするよう促すのがメディアの役割ではないでしょうか。
なお、私はJ-クレジットや非化石証書といったカーボン・オフセット全般について否定的な立場ですが、たとえば、輸出企業やサプライチェーン要請で困っている企業などに限定してクレジット購入を認めるような政策はありだと思います。何の制限もなく、自由取引で企業がこれに殺到するような世の中になることを憂いています。
青臭いようですが、企業は日々の事業活動や自社の製品・サービスによる貢献で評価されるべきであり、現場・現物・現実の三現主義こそが日本企業の良さだと思うのです。お金でオフセットする虚業が評価される風潮になれば、地道な改善活動や製品開発による貢献が吹き飛んでしまい、現場の意欲が削がれてしまいます。目に見えないところで蓄積されてきた日本企業の強みや競争力が将来消え去ってしまうことにもつながりかねません。
昨今、脱炭素やカーボンニュートラルをはじめ、ESG、SDGs、サステナビリティなどという言葉が流行るほどに、産業界の倫理観や道徳がなくなってきているように感じます。新入社員研修のCSRパートでは、今でも近江商人の「三方よし」の精神や、渋沢栄一の「論語と算盤」を教えている日本企業が多いはずです。昨今のESGやサステナビリティなどの潮流は、新入社員に伝えている「三方よし」や「論語と算盤」と矛盾していないでしょうか。
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藤枝 一也
素材メーカーで環境・CSR業務に従事。