人々が次に求めるもの、そこにビジネスがある

私の知り合いに「まずいものは一食たりとも食べない」と豪語する人が複数人います。その発想の後ろには「限られた人生、そこに妥協は許さない」というわけです。それはそれでいいのでしょう。

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一方の私は20代の時に日本や世界のウマいものを散々食べてきて、だんだん飽きが来て「シンプルさ」を求めるようになり、そのうち、食事は生きるための作業の一つぐらいにしか思わないこともしばしばあります。

かつてアメリカにいたとき、昼食は仕事をしながら家で作ってきたサンドウィッチでさっさと済ませている役員フロアの役員達をみて「1時間、ゆったりと昼休みを取っている場合ではないのだ」という気持ちを植え付けられたのかもしれません。その点ではアメリカを恨みます。笑

人が人生の間でその価値観をどんどん変えていくように社会の趨勢もどんどん変化します。100年続く会社はたくさんありますが、100年続く同じビジネスは極めて限られるのです。アメリカで一世を風靡したフォードやGM、IBMやGEが今、トレンディな会社だと思っている人は少ないでしょう。それらの会社は会社の中身の入れ替えに必死なのです。理由は戦後の繁栄期に成功した数多くの企業はモノづくりを原点としているからです。

90年代後半からモノ作りが成熟し、企業による差別化がだんだん難しくなりました。90年代、自動車会社はライバル社との比較で「弊社のクルマには他社にはついていないこんな装備がついていて価格もお得」といったたぐいの宣伝が北米では常套手段でありました。こんな広告が出たということは自動車の差別化が出来なくなり、基本性能より装備品の豪華さを謳うギミッキーな時代になったともいえたのです。

ではそのあとを引き継いだITの企業群の時代は今後も繁栄が続くのでしょうか?私は最大10-20年程度で止まるとみています。もちろん、会社は存在し続けますが、成長のスピードは鈍化するはずです。なぜそう思うのでしょうか?それはITが一般社会の中で成熟化するからです。例えば今、5Gの普及が進んでいます。これが2020年代の標準になり、30年代には6Gの世界がやってくるとされます。しかし、6Gは一般社会には普及せず、ごく一部のそれを必要とするところだけに留まるとみています。それは99%の日常生活で人間の欲望上、それが必要にならないからです。

ビジネスは全て人間の欲望との駆け引きの中で存在します。必要なものが人間生活の根幹をなすわけで、それはかつて「衣食住」であったわけです。そこから先はプラスアルファの世界とも言えます。ITの社会は更に過激で戦国時代を経て、スマホに一本化されつつあります。いつでもどこでもデータにアクセスし、画像配信を楽しめ、ショッピングを楽しみ、友人とオンラインゲームでもチャットでも楽しめます。そこから先、あと何を望むのか、なのです。事実、携帯電話の機能はここにきて大して性能面での変革は起きていません。成熟化していると言えるのです。

では次に何が来るのでしょうか?私は幸せとか、満足感、心の充足感、ウェルネスといったものではないかと考えています。つまり、よりメンタルの補強を重視したものです。

モノ作りからサービス産業にシフトし、情報化社会まで到達したのです。わずか5-60年の間でものすごい進歩です。一人の人間が生きている間だけでもこれほど社会の趨勢に振り回されたとも言えます。それは逆に「疲れる社会」が生み出されたともいえるのです。

実は私の誕生日の日だった2週間前の日曜日の午前6時前に携帯に電話があり、私の会社で所有する店舗2軒に賊がガラスを破って侵入したと。世の中は人の都合など考えてくれません。誕生日だから今日はゆっくりしてね、と賊は考えていません。こんな状態で臨む私の幸せは何か、といえば「携帯からもメールからもさようなら」かもしれません。自分の都合の良い情報だけ取り込み、あとは聞かないなんてあれば楽ちんだろうと思います。

ではこのストレスをどこにぶつけるのでしょうか?酒ややけ食い、ストレス買い…といった既存の枠組みではなく、完全に気分転換できる何か、が欲しいのです。「会社を休んで旅行にでも行って来たら」という人もいます。がコロナ禍の上にそんなことでいちいち休みを取っていたら社長なんて務まりません。

ではどうするのでしょうか?

私が思うあり得る答えはメンタルコントロールだと思います。嫌なことがあっても辛いことがあってもそれを乗り切る強い精神力と同時に瞑想とか精神統一、あるいはメンタルヒーリングの音楽であったり、心が休まる匂いや食べ物といった補助製品があればよいのかもしれません。アメリカの一部の経営者の間で「禅」が根強い人気となっています。あるいはマインドフルネスの書籍が数多く出版されています。キャンプがブームですが、これも現代社会の歪の結果ではないかと思うのです。

私は週末、機会あるごとに山に1-2時間ほどの短いハイキングに行きますが、それも一つのメンタルコントロールで森林の中で気分を変えることは私は効果的だと思っています。ある意味、ほとんどがありきたりのものかもしれませんが、結局最後は人間の内面が一番大事なところです。複雑化した社会だからこそ、大きなビジネスの機会になるのだろうと考えています。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年6月20日の記事より転載させていただきました。