ゼロリスク原理主義の浸透は社会壊滅を招く

多田 芳昭

日本人と欧米人の心理的比較分析として昔からよく言われていたのが、コップ半分の水をどの様に考えるかだった。欧米人は、『まだ半分もある』と未来に向けて積極的な姿勢で、半分の水を使いながらも増やしていこうとポジティブに考える。一方、日本人は、『もう半分しかない』と将来の不安を極大化させて、なんとかこの半分の水を守り抜こうと考え、ネガティブな思考に陥る。

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この違いは本来的には一長一短あるのだ。『まだ半分もある』という思考回路は、当然の事ながら、大きなベネフィットを得る可能性もあるが、リスクも伴う。アメリカンドリームの世界でもあり、社会は大きく発展するだろうが、格差も拡大するかもしれない。『もう半分しかない』の場合は、大きな失敗はないだろうが、大きな成功も期待できない。

しかし、バランスが取れた状態であれば一長一短で片づけられるが、極端な場合は大きな弊害を生む。例えば、『もうコップの水が1%減ってしまって先が不安だ』となると、これでは身動きできず、社会停滞に繋がる。ゼロリスク原理主義により弊害なのだ。

確認した1事案は木、統計データによる確率は森

このゼロリスク原理主義とでも言うべき論理と、前向きな現実策との典型的な衝突が『ABEMA-NEWS 2021/06/17』で繰り広げられていた。

この番組の中で、木村盛世女子は、新型コロナの感染データを元に、若者と高齢者の重症化リスクに大きな違いがある事を示し、重症化リスクの低い若者の行動制限、自粛を殊更強化する事に異を唱えていた。つまり、リスクの高い層に対して対策を集中する事で、重症化や不幸に至る事案を最小化出来るとの主張だ。

これに対して、宇佐美典也氏は、若者でも重症化リスクはゼロではなく、自身の周辺でも実際に若者が苦しむ姿を見ていると言い、確率論で語るのは間違いだと言う。

これは、典型的なゼロリスク原理主義とでも言うべき、騙しのテクニックなのだ。つまり、確率で例えば100万人に1人の確率であろうとも、その1人、当事者にとってみれば、100%なのである。人は、他人事であれば確率が高くても、それ程恐れないが、自身が当事者になれば、その時点で100%であり、事実として突き付けられる恐怖は100%なのだ。それが家族であっても当事者であろうし、身近な恐怖となる。有名人がその対象になったら、赤の他人が対象になるよりも当事者意識の度合いは高まる。昨年の志村けんさんの不幸は多くの国民に新型コロナの恐怖心を植え付けた。赤の他人だったら、あれほどの恐怖は無かったのだ。

この様に、確率に関係なく、当事者度合い、当事者との距離感で恐怖の度合いは変化する。この法則に則り、若者でも重症化する、重症化した若者を実際に見た、だから貴方も重症化する可能性があると脅せば恐怖は実際の確率以上に高まるのだ。

しかし、実際の政策を打つために必要なのは、この100%の当事者目線ではなく、マクロの確率論でリスクを評価し、政策の強弱、方向性を検討する事なのだ。

この様な単純で当たり前の事は言われなくとも分かっていると言うかもしれないが、メディアの報道は殆ど、この論調に終始し、宇佐美氏も何の疑いもなく強弁されているのだ。恐ろしい世の中だ。

井戸端会議で、『・・・とみんなが言っている』という話法が用いられるが、この場合のみんなは、多くの場合単数形だったりする。1人から聞いた事をみんなから聞いたと言い放てるのだ。身の周りの誰々が、若くても重症化したからといって、みんなにリスクがあると言うのは、この論調と同様に言い過ぎなのだ。あくまでデータで示された確率論が前提になる事を忘れてはならない。

弱者を切り捨てるのか、と言う反論も筋違いだ。一人も犠牲者を出さない、というのは聞こえがいいが、その結果多数の被害者を生むのである。犠牲者も被害者も最小限に抑えるために打つ策は、確率とバランスで語らねばならない。

反対勢力の行動パターン

経営に携わり、組織の問題に対峙し乗り越えた経験のある方であれば納得して頂けるだろうが、組織の問題の大部分は部分最適思考が元凶となる。全体最適思考による最適策は誰の目から見ても明確であっても、個々の部分最適ではなく、個々に苦労も強いられ、不利益になる事も少なくないので抵抗勢力と化すのだ。その場合の抵抗勢力は、決して自己の利益追求と表向きは言わず、大体の場合は、『できない』『現実的でない』ともっともらしく否定するのだ。

日本がさざ波の新型コロナ感染状況で医療逼迫が発生し、一向に医療体制強化、医療資源適正配分が進まない原因がここにある。

分かり易い討論が上記と同様の番組で繰り広げられていた。木村盛世女子は、前向きに医療逼迫を起こさない為に、患者の広域間搬送を提案していた。日本の重症病床数は4200床あり、その内1200しか使われていないので、オールジャパンの対応を提案したのだ。方法として示されたのは、ICU搭載の自衛隊ヘリによる搬送だ。

それに対して、宇佐美典也氏は、受け入れ側の病院に強制できない。机上の空論であり、出来ない事だと言っていた。しかし、その論法こそが部分最適の抵抗勢力のものに他ならない。その結果として、飲食店含め多くの国民に強制力のない自粛と言う名の要請を繰り返しているのであり、病院にだけ同様の要請が出来ない論理にならない。

百歩譲って、何らかの本当に出来ない理由があるのなら、その事を国民に、医療側が強化対応できない事を頭を下げて論理的に説明し、納得を得る努力が最低限必要では無いだろうか。ところが、日本医師会長や東京都医師会長など、記者会見では上から目線で国民の緩みを攻める様な論調を繰り返してきているではないか。しかも自分達はパーティを開催しながらなので、本当に出来ない理由があるとは誰にも思えない。

では、実際はどうなのかというと、実は一部の首長から、他県の患者受け入れに対しても前向きな姿勢が示された事もある。本気で、政府が号令をかけて、自衛隊の出動も辞さない姿勢を見せれば、少なからず対応する病院も出てくるのではないだろうか。それぐらい医師会が旗振っても罰が当たらないだろう。

ワクチンの場合も、菅首相が1日100万回と言った時、メディアは挙って出来もしない、出来る訳が無いと批判した。更に医師会の抵抗を受けても、自衛隊を出動させ、超法規的措置で歯科医などに展開し、職域接種まで拡大の手を次から次へと打って出た。いつまでも抵抗を続けていたら、存在価値を失うだけだろう。

医療崩壊抑止の具体策整理

1年以上、この状態を経験し、医療崩壊を防ぐ方法論はほぼ見えてきている。出来ない事ではなく、やる気になれば出来る方法として見えてきているのだ。簡単に整理すると

①町医者の体制で患者の早期ケアを強化する
尼崎の長尾医師の成功事例を水平展開すれば良く、制度面の後押しとしては、リモート診療を導入し効率化を図れば良い。

②重症化した患者は、オールジャパン病床の受け入れ態勢で広域搬送も辞さない
患者を受け入れた際の手当の充実は必要だろうが、既に相当レベルの法的措置は為されているはずだ。後は、号令次第だが、本来的には政府が号令をかける前に、医師会が音頭を取るべきだろうし、その方が将来の軋轢は少なくて済む。

③専用治療センター建設、強制的に医療スタッフを柔軟に配置
②と競合する部分もあるが、所謂あの手、この手である。大阪府で同様のセンター設立の際、人材に関して結局自衛隊の支援を得たが、本来なら医師会が音頭を取るべきだろう。

実は、こんな簡単な事も出来ずに、既得権益を死守する意識で内乱状態になってしまっては、外から見ると、国家としての脆弱性を露呈している事になる。それはそうだろう、この国を攻めるのに武力は不要で、メディアに対しての情報操作に極めて弱く、多くの既得権益組織、特に学術団体系を攻め落とせば、易々と混乱状態に陥れる事が出来ると示しているのだ。

これに対抗する唯一の方法は、全体最適思考での政策が適切に打てる姿、岩盤既得権益構造を一つ一つ打破していく事だろう。まずは、医療体制の事業継続計画を確立する事が急務なのだ。