彼は二番煎じと言われるのがよほど嫌いなのだろう。他より常に先行していないと気が済まないタイプかもしれない。オーストリアのイケメン、セバスティアン・クルツ首相(34)のことだ。クルツ首相はここにきて、「7月にもマスクの着用義務を中止したい」と、他の欧州諸国に先駆けて「マスク、さようなら」宣言をメディアとのインタビューの中で答えたのだ。
オーストリアは6月に入り、コロナ規制は次々と撤廃されてきた。もちろん、新規コロナ感染者数の動向はそれを支援してきた。20日の新規感染者数は131人、7週間の新規感染者数は人口10万人当たり11.9人だ。入院患者数(251人)も減少し、集中治療室の患者数は84人に減少、「医療崩壊」といった言葉は専門家の口からもはや聞かれなくなった。ワクチン接種も進み、最低1度の接種を受けた国民は約450万人で国民の49.91%。12歳から15歳への接種も検討中だ。英国ら他の欧州とは違い、インドで最初に特定されたデルタ変異株の流行の兆しは目下ない。
クルツ首相は記者会見の度に、「夏までには新型コロナ感染問題は峠を越え、正常化される」と述べてきたが、現状はそれに近づいてきた。そんなこともあってクルツ首相は自信を深めてきたのだろう。とうとう「マスクを外す時を迎えた」と言い出したわけだ。
欧州で2015年、難民が殺到した時、当時外相だったクルツ氏はいち早く国境閉鎖を打ち出した。当時、隣国ドイツではメルケル首相の難民歓迎政策が実施されていた時で、クルツ氏の難民対策は明らかに180度反対だったが、難民殺到に困惑する欧州でオーストリアの強硬対策は素早く注目され、独週刊誌シュピーゲルはその後、クルツ首相とのインタビューを頻繁に掲載するほどになった。
クルツ首相は国民的人気を背景に常に他の国が実施していない政策をいち早く実施することをその政治哲学としてきた。そして欧州に先駆け、医療用マスクFFP2マスク着用を義務化してきた。期待していたワクチンの供給が遅れることが分かると、世界最初のワクチン、ロシア製「スプートニクⅤ」を国内製造する案をメディアに流す一方、ワクチン接種でいち早く成果を挙げたイスラエルに飛び、ネタニヤフ首相(当時)と会談し、今後のワクチン製造問題について話し合っている。ちなみに、ネタニヤフ首相を尊敬しているクルツ首相はウィーンの連邦首相官邸の屋上にイスラエルの国旗をたなびかせ、イスラエル国民に連帯を表明する、といった具合だ(「ウィ―ンに『イスラエル国旗』が出現」2021年5月16日参考))。
オーストリアはコロナの感染が拡大する度に計3回のロックダウン(都市封鎖)を体験してきた。「緊急事態宣言」を発するか否かで数カ月間も議論している国とは違って、クルツ首相のオーストリアでは毎週何か新しい政策が発表されるのだ。そして今回の「マスク外し」宣言だ。国民はその度に喜んだり、怒ったりしてきた。
「マスク外し宣言」はどうやらクルツ首相が言い出したもので、連合政権内でじっくりと検討された方針ではないようだ。クルツ首相が率いる与党中道保守政党「国民党」と連合を組む「緑の党」のヴォルフガング・ミュックシュタイン保健相は、「まだ決まった事ではない」と慎重な姿勢を崩していない。同保健相は家庭医だ。医師の立場から「マスクを外すのはまだ早い」という思いが強いのではないか。
クルツ首相の「マスク外し宣言」では、一旦FFP2を外し、通常のマスクを着用し、7月22日には最終的に廃止するというものという。いまのところ、ウイルス学者の一部で反対が上がっているが、商業関係者は、「マスクを廃止すれば売り上げは10%増える」と歓迎している
ちなみに、オーストリア大衆紙エステライヒが実施した世論調査(6月15日から17日の間、1000人に質問)によると、国民の10%は室内でのマスク着用継続を支持、32%は完全にマスクなしを支持し、21%は野外でのマスク着用を停止、37%は公共公共機関や大イベントでのマスク使用には意味がある、と受け取っている。
オーストリアでは中国発新型コロナが感染拡大し、国民がマスクの着用を義務付けられた時から「マスクは我々の文化ではない」といった思いが国民の間には強い。野党の極右党「自由党」のヘルベルト・キックル新党首は義務にもかかわらず、議会でマスクを着用せず、コロナ規制反対集会ではマスクなしで「クルツ政権を打倒」と叫んできた。
あれこれあったが、オーストリア国民は1年半余りアジア文化と見てきたマスク(最初は通常のマスク、その後FFP2マスク)を着用してきた。次第に愛着を感じる国民も出てきた頃だ。日本からウィーンに戻ってきた日本人女性は、「市内にFFP2マスクをしている人を見て驚いた」と言っていた。日本では通常のマスクをするが、FFP2マスクはほとんどしていない。ウィーン市民が電車の中やスーパーでFFP2マスクをしている姿に驚いたわけだ(「FFP2マスク着用前には髭剃って」2021年1月24日参考)。
このままいけば、オーストリアでは7月にはマスクが外されるのはほぼ間違いない。オーストリア国民はマスクなしで買物し、電車に乗る日が近づいてきたわけだ。問題は、マスクを使用する契機となった新型コロナ感染は欧州ではまだ終焉していないことだ。昨年のように夏季休暇後、秋に入って新規感染者が増える危険性は完全には排除できない。その時、クルツ首相は欧州の他の指導者よりいち早く対策を公表するだろう。再びマスクが見直され、ソーシャル・デスタンスが叫ばれるかもしれない。それまでオーストリア国民は束の間の夏休暇をマスクなしで楽しむことになるのだろう。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年6月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。