立花隆さんの訃報で考えたこと 先人すごい問題

朝起きたら立花隆さんの訃報が。合掌。リクルートでアルバイトしていたのだよね(正確には、と言われている)。世代的に、何より勉強不足で、彼の残したものの、ごく一部にしか触れていないのだが。

立花隆氏 NHKより

Twitterのトレンドでチェックしたが、数々のジャーナリスト、新聞記者が追悼コメントを寄せている。うん、それぞれの人がリスペクトし、発信しているのだろう。実際、故人はすごい。いや、凄まじい。

もっとも、そこに白々しさを感じてしまうこともある。田中角栄に関するアウトプットがなんせ、国を動かしたのだけど。「いや、お前がまず、菅義偉研究やれよ」と言いたくもなってしまう。

また、立花隆氏の圧倒的なインプット、アウトプットには尊敬しかないのだが。安易に敗北宣言をするのもいかがなものか。あんなジャーナリストは二度と出ない、的な。

じゃあ、今のジャーナリストたちはダメなのか、劣化したのか。そもそも、立花隆という特異点を前提に「昔のジャーナリストはすごかった」話をするのもまたナンセンスだ。今の方が進化、深化している点もあるわけで。

「昔はよかった」は幻想だったりする。たとえ話として適切かどうかわからないが。あまりプロレスを見ない人(というか、昔、テレビでたまたま見ていただけの人)に、「プロレスっていま、またブームなんでしょ?でも、タイガーマスクの頃ほどじゃないよね」と言われる。いや、テレビでゴールデンタイムで観る時代とはまた違い。動員も90年代の方が多かったし。いまは配信の時代だし。そして、タイガーマスクの技は前座クラスでもやるわけで。もっとも、これで当時の熱さや、タイガーマスクという天才が否定されるわけでもなく。世の中は変化しているし、進化・深化しているし、その時代はそれぞれすごい。

というわけで、故人のことを想いつつ。先人をいかにこえるか(そのこえかたも色々ある)。考えよう。


編集部より:この記事は千葉商科大学准教授、常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2021年6月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。