スペイン人演出家のアレックス・オリエにはぜひ会いたいと思っていた。2019年に上演された『トゥーランドット』では、ハッピーエンドのエンディングをトゥーランドットの自殺という悲劇に書き換え、舞台となる紫禁城を地下墓地のような鉄骨の牢獄として描き出した。トゥーランドット姫に一目惚れするカラフは、失われた権力を奪回しようとする残酷な男性で、カラフを命がけで救う女奴隷リューは、凄まじい孤独の中で死に絶える歌を歌った。「リューの死」の場面は、どの演出よりも強烈なインパクトがあり、演出家にとって物語の「残酷さ」を炙り出すことは、何よりも重要なことに思えた。夢物語ではない、リアリズムの世界だった。
新国立劇場の新制作『カルメン』では、またしても大胆な設定を用意している。カルメンはスペイン人の人気歌手で、ホセは日本人の警察官、舞台は現代の日本だという。舞台にはライブコンサートのステージそのままの巨大な鉄骨の装置が組まれ、見る者を圧倒する。
スペインのパフォーマンス集団ラ・フーラ・デルス・バウスの一員であるオリエ。ラ・フーラ・デルス・バウスといえば、アヴァンギャルドで冒険的な演劇の実験工房として有名だが、オリエの演劇にはそれと異なる古典的なところも見え隠れする。強い理念を実現するために、鉄の仮面を被っているようにも見える。冷静で厳かな声で演劇を語るこの人物は何者なのか。朝から劇場でテクニカルの調整を行い、午後は歌手たちとの稽古、取材は19時半から行われ、その後も再び劇場での作業へと戻っていった。
ホセは「いい人」ではない
――あなたが演出する『カルメン』では、27歳で亡くなった歌手のエイミー・ワインハウスがカルメンのモデルになっているという記事を読みました。
アレックス・オリエ氏(以下:オリエ):特にエイミー・ワインハウスが重要なわけではありません。今の観客に届きやすい例として彼女のイメージが湧いてきましたが、もはや彼女を知らない人も多いでしょう。若いうちに成功を成し遂げて、愛情や嫉妬やドラッグやアルコールという世界にまみれて、最後は死んでしまったエイミーの人生が、アイデアとしてありました。メリメの原作では、カルメンはタバコ工場で働いていて、闘牛があり、お祭りがあり、「豊かなスペイン」というイメージがたくさんありますが、今回はそうではなく、ロック歌手のコンサートを取りまく環境ということを考えたのです。そこでは麻薬などに関する悪い人々が登場し、複数の人々と性的関係をもつといったことが起こります。フラメンコというより、ロックコンサートの世界を演出にもってきました。みなさん、スペインといえばカルメン、カルメンといえばスペインと思っているでしょう。『蝶々夫人』といえば日本、というみたいに。そうではなく、カルメンはどこにでもいる現代的な女性なのです。今生きている女性にストーリーを近づけていくことが大切です。
カルメンがスペイン人であることは変えていません。闘牛士のエスカミーリョもスペイン人で、スペインのフェスティヴァル・ウィークで日本に来ているという設定です。ホセは日本人の警官ですが、これがドイツでの上演だったら、ホセはドイツ人だったかも知れません。DVを働く男性は世界中にいるのです。
カルメンは女性としての自由の象徴ですが、彼女の悲劇とは間違った男性を愛してしまったことなのです。今日なら、嫉妬によって愛する女性を殺してしまったなら、ニュースで取り上げられるような話題になるのではないでしょうか? 嫉妬で女性を殺してしまうような男性は、いい人では全くない。暴力的で、自分をコントロール出来ない男性です。
――カルメンは自由奔放な悪女で、翻弄されたホセは悲劇的な善人、という解釈が多いので、そういうふうに考えたことはありませんでした。
オリエ:クラシックなカルメンというのは、ひとつの典型的なスペクタクルですが、その中には様々なテーマが潜んでいるのです。一個一個のテーマを今回の演出では伝えていきたいと思っていますし、物語のバックボーンを伝えたい。クラシックなオペラが好きな観客と、新しいものを求めてくる観客がいます。私は若い人たちにもオペラに興味を持って欲しいし、子供にも『楽しいね』と言ってほしいので、昔のテーマを現代に広げることが必要だと思いました。ですから、私は今回、大野(和士)マエストロにとても感謝しています。彼にはダイバーシティ、様々な考え方へのリスペクトがあります。若者からお年寄りまで、さまざまなタイプの観客にオペラを楽しんでほしいという同じ考えがあり、私たちに信頼を置いてくれている。オペラを初めて見る若者には、この『カルメン』から鑑賞体験が始まるということに期待を抱いています。広場、噴水…といった古いイメージではない新しいカルメンです。
カルメンは悪女ではない
――美術と衣裳は『トゥーランドット』と同じバルセロナのチームですね。ラストシーンの舞台稽古を拝見しましたが、空間を埋め尽くす鉄骨の大きな構造物に圧倒されました。
オリエ:あの鉄パイプ構造は、コンサートのバックステージをイメージして作ったものです。もうひとつの意味としては、女性が逃げることの出来ない檻の中です。そのふたつがひとつになって、あのような舞台装置になりました。女性にとって牢屋のような、逃げ出したくても逃げることが出来ない空間です。我々のチームは一年に3つくらいオペラを作るのですが、数年前に演出を依頼されてからずっとアイデアを温めてきました。最初にコンセプトを作り、それから美術のアルフォンス・フローレスと舞台をどのように作っていくかを話し合い、その後に衣裳をリュック・カステーイスと考えていきます。
オリエ:我々の生きる時代は不自由で、暴力の危険にさらされています。カルメンのように自由に自分の生き方を選べる人でさえ、嫉妬によって殺されてしまいます。カルメンが男性だったら、このような悲劇は起こらないでしょう。200年前のストーリーをただ伝えて「ああ、楽しかったね」と観客に思わせることも出来るのですが、「今だったらこういうことなのか」ということを出来るだけ多くの観客に感じて欲しい。オペラの世界も、マエストロも演出家も圧倒的に男性が多く、女性発信のものはほとんどありません。女性はまだ弱い立場にいるのではないかと思います。私は女性ではないけれど、女性の演出家が出てきたらその「観点」にとても興味があります。
(後編につづく)
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【特別配信版 オペラ『カルメン』オペラトーク】
日程:2021年6月24日(木)19:00 ※終了は20:30頃を予定しております。
出演:アレックス・オリエ(演出)、大野和士(指揮・新国立劇場オペラ芸術監督)
視聴方法:新国立劇場YouTubeチャンネル
【新国立劇場ジョルジュ・ビゼー『カルメン』(新制作)】
公演情報はこちらから
【公演日時】
2021年7月3日(土)14:00
2021年7月6日(火)17:30
2021年7月8日(木)14:00
2021年7月11日(日)14:00
2021年7月17日(土)14:00
2021年7月19日(月)14:00
【指 揮】大野和士
【演 出】アレックス・オリエ
【美 術】アルフォンス・フローレス
【衣 裳】リュック・カステーイス
【照 明】マルコ・フィリベック
<キャスト>
【カルメン】ステファニー・ドゥストラック
【ドン・ホセ】村上敏明
【エスカミーリョ】アレクサンドル・ドゥハメル
【ミカエラ】砂川涼子
【スニガ】妻屋秀和
【モラレス】吉川健一
【ダンカイロ】町 英和
【レメンダード】糸賀修平
【フラスキータ】森谷真理
【メルセデス】金子美香
【合 唱】新国立劇場合唱団、びわ湖ホール声楽アンサンブル
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団
※7月31日(土)・8月1日(日)