東京五輪があぶりだす政治、行政能力の劣化

コロナ相手では休戦を頼めない

東京五輪の開催まで1か月を切るというのに、新型コロナとの戦いに翻弄され、政治、行政のドタバタ劇が激しさを増しています。政治、行政の対応力の劣化を暴いてくれているのは、コロナの功績の一つです。

Ryosei Watanabe/iStock

コロナ戦争が一段落したら、政治、行政の総点検にとりかかるよう勧めます。デジタル庁や子ども庁創設のように、菅首相が得意とする点を単位とした思考ではなく、危機対応力を強化するグランドデザインが必要です。

古代五輪は、都市国家間の戦争があっても中止し、4年に1度、開きました。クーベルタン男爵が近代五輪として五輪の復活を提唱し、1896年に第一回(アテネ)が開催されました。「スポーツを通じて平和な世界の実現に寄与する」ことを目的に掲げました。

新型コロナはウイルスですから、人類が交渉できる相手ではありません。東京招致に執着した安倍前首相は「延期」を選択せざるを得ず、後継の菅首相は「コロナとの戦いに勝った証」としての開催を約束しました。

新型コロナ戦争は未だ戦争状態で、こればかりは、古代五輪のように「開催期間中は休戦」というわけにはいかない。苦戦が続く中で、無理を重ねた強行開催ですから、準備は迷走に次ぐ迷走です。

いびつな形で開催するなら、止めたほうがよい。その決断ができない。クーベルタンの「スポーツを通じた平和の祭典」どころではない。「新しい形の五輪の模索を」とかいう論者も中身のない空論を振り回す。

あっけにとられたのは「会場の観客への酒類販売を認める」との方針です。抗議殺到ですぐ撤回です。飲食店での飲酒を午後7時までに制限しておきながら、「五輪会場は特別扱い」が通るはずはありません。

丸川五輪担当相が「ステークホルダー(利害関係者)の存在がどうしてもある」と、アサヒビールとのスポンサー契約に縛られていることを示唆しました。この発言もすぐ撤回です。

こんな分かりやすい案件に正しい判断を最初から、示せない。そこまで政治家、組織委の能力のレベルは劣化しているのでしょう。

千葉、埼玉、神奈川の知事らが「午後9時以降は無観客に制限してほしい」と、訴えました。観客数を「収容人数の50%以内で、上限1万人」に制限すれば解決すると思い込んだ組織員会の思慮不足が露呈しました。

夜間の外出自粛を国民に求めている一方で、「五輪は例外とする」は通らない。そんなことにも、最初から正しい判断を示せない。

ワクチン接種については、菅首相が「一日100万人目標」を強引に掲げるものだから、全体の調整がないまま、現場は急げ急げで突っ走った。モデルナ・ワクチンが不足する見通しなり、河野担当相が職域接種(企業、大学)は一時中止を宣言しました。朝令暮改とはこのことです。

「入国する選手は1万5千人で、延期決定前と変わらない」と、組織委員会は明らかにしています。本当なのでしょうか。事務局の願望でしょう。

さらに確定した参加国数(当初150か国)の発表は未だにありません。本当に五輪(五大陸)といえるのか、四輪(四大陸)に終わるのではないのか。こんな重要な数字なのに示さない。

書店で買うテレビ情報誌は、7月23日以降の番組表が空欄になっているとか。決まっていない競技日、競技時間が多いのでしょう。有力選手がでそろわない五輪競技をテレビ観戦しても、どうなんでしょうか。

コロナとの戦いをしながら、慌てふためき、迷走しながら開催の準備を進めるからこうなる。そこまでして五輪をやる価値はあるか。結局、五輪を途中で中止に追い込むものがあるとすれば、コロナウイルスしかない。

G7サミットが開かれた英コーンウオール地方では、各国メディア、要員、警備の警官などが殺到し、コロナ感染が急拡大しているとの報道です。同じようなこと東京で起きないとはいえない。

巨額の放映権料、スポンサー収入を得るIOCが「感染対策費の全額を補償します」くらいの態度表明があっていい。

最後に、報道機関は五輪のスポンサー企業になるべきではありません。こうした混乱を日本の新聞、テレビは客観的、中立的に報道していません。朝日、読売、毎日のような全国紙はスポンサー企業(広告収入が見返り)契約を結び、系列のテレビ局は巨額のCM収入が入るからです。

全国紙が23日、「日本の五輪の競技別メダル獲得数」の大特集を組んでいました。不完全な形でしか開催できない東京五輪の大特集を各紙が続々と組む。報道する価値をよく考えてほしい。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2021年6月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。