各分野「ベスト100」を選んで日本文化を考える

365日でわかる世界史 世界200カ国の歴史を「読む事典」』(清談社)という本という本の紹介をしたことがあるが、こんどは、『365日でわかる日本史 時代・地域・文化、三つの視点で「読む年表」』(清談社)という姉妹編が刊行されたので、それを種にしてのお話である。

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今回の本では、日本史100の論点の謎解きと、全国47都道府県の歴史(全市町村が登場)で全体の六割を構成し、そのほかは、分野別の歴史に充てている。また、歴代天皇をワンフレーズすつで紹介するとか、科学技術、金融経済、教育、領土、皇室などの分野ごとの歴史もある。

そして、さらに、かなりのページは、世界篇でも好評だった、分野ごとのベスト100とかベストテン選びだ。ともかく、誰も挑戦したことのないベストものなので、発見は多いと思う。

ベスト100は美術、建築、神社、寺院、城、文芸思想、伝統音楽、ポップスミュージック、スポーツ選手、観光地、祭り、人物、映画、名門高校でセレクトした。このほかに、テレビ、陶芸、工芸、刀剣、武具、書道、災害などのベストテンが入っている。「選ぶ」という営みを通じて日本の文化と歴史を客観的に見ようという試みだ。

今回はそのなかから、『建築100選』のなかから「平成・令和の名建築」と「日本史に残る刀剣10選」の部分を紹介したい。

「平成・令和の名建築」

日本建築史⑦平成・令和
〜平成の日本は経済の崩壊と災害で散々な時代だった【9】〜

バブルの興奮のなかで平成の時代は始まった。世界の先進的なトレンドが東京に集約したが、今や中国やアラブに主戦場は移っている。

金沢21世紀美術館 出典:Wikipediaより

現代日本を代表する女性建築家・妹島和世が西沢立衛とSAANAという集団名で設計した金沢21世紀美術館(2004)は兼六園の近くにある都市型の現代アート美術館である。まるびぃ(丸い形状の美術館)の愛称で呼ばれる。

伊東豊雄設計のせんだいメディアテーク(2000)は図書館、イベントスペース、ギャラリーなどを持つ公共施設であるが、構造とデザインが秀逸で仏・ルモンド紙は「伊東豊雄のせんだいメディアテークで有名な仙台」と記述された例もあるほどだ。千葉学の、場所と人に新しい関係を見出し、それを創造する「デザインは関係をつくること」を機軸に思考と実践を練り上げたというのが日本盲導犬総合センター(2009)。盲導犬を訓練する施設が概ね「閉ざされた場」であるのに対して、盲導犬の活動を広く伝える地域に「開かれた場」にすることが求められた中で設計されたという。

阪神大震災をきっかけに木材を多用するようになったのは隈研吾で、スターバックス太宰府天満宮表参道店(2012)、浅草文化観光センター(2012)が話題を呼んだ。後者ではそれぞれの階に杉の不燃材製の縦のルーバーが取り付けられている。敷地が広くないため浅草の街並みに合うように平屋を積み重ねたデザインにしたと述べている。

ポストモダンの建築家として注目されて、大胆な造形で知られる六角鬼丈設計の東京武道館(1991)は菱形のモチーフを積層した外観で、光の角度とともにタイルの色が変化する。公立はこだて未来大学(2002)は山本理顕の設計。構造体がすべてプレキャストコンクリートとなっており、教室と廊下の間仕切りはガラス張りで授業が面白いと思ったら入って参加もでき、先生も学生も自由に中に入れる。

ニコラス・G・ハイエックセンター(坂茂・平賀信孝2007)は銀座に建つスウォッチ・グループ・ジャパン本社ビルとショールームで、銀座にはない緑を取り入れたという。ビルのひとつの壁面が完全に緑で埋め尽くされている。

京都大学稲盛財団記念館(櫻井潔+廣重拓司2008)は南北に100mを超えるファサードを持ち、建物が西に開いているので、庇と電動の外付けルーバーを組み合わせて室内の日射を防いでいる。設計が竹中工務店パナソニックスタジアム吹田(2015)は、大阪の万博記念公園にあるサッカー専用スタジアムで設計は竹中工務店。

この時代に起きた建築界を揺るがす話題は二つあった。入札制度問題と構造計算書偽造問題いわゆる姉歯事件だ。前者によってそれまで行われていた金額の事前調整が難しくなり、価格競争の比重が高まったり、コンペや海外参入が多くなった。後者は大臣認定の構造計算ソフトの計算結果が改竄され、それを行政や民間の指定確認検査機関が見抜けなかった。建築基準法に定められた耐震基準を満たさないマンションやホテルが建設されていた事実が人命や財産にも関わることであることから、大きな社会問題になった。

「日本史に残る刀剣10選」

日本刀はその美しさと実用性の高さから日本からの輸出品としても重要だったほどだ。そのなかで、国宝などからベスト10を選んで見る。このほかに、徳川に禍をもたらす妖刀村正とか、近藤勇の長曾禰虎徹、土方歳三の和泉守兼定、沖田総司の菊一文字則宗といったものは有名だが名刀というわけでもないのではずした。

しばしば、「天下五剣」とされるものがある。童子切安綱は源頼光が丹波国大江山で酒呑童子の首を切り落としたものとされる。足利将軍、秀吉、家康らを経て津山藩主に受け継がれ、現在は東京国立博物館にある。

童子切安綱の刀身 出典:Wikipedia

鬼丸国綱は、鎌倉時代の刀工・粟田口国綱の手になり、北条時政、足利将軍、秀吉、家康を経て後水尾天皇に献上され御物となっている。三日月宗近は平安時代の三条宗近の作で直刀から刀身に鎬と反りのある日本刀となる過渡期のもの。北政所から德川家に渡り、近代になってから流出し、特殊鋼の権威だった渡邊三郎から東京国立博物館に寄贈された。

大典太光世は平安時代末期に筑後国で活躍した刀工である三池典太光世によって作られたとされる。足利義昭から秀吉を経て加賀前田家に渡り、現在も前田育徳会の所有である。数珠丸は、平安末期から鎌倉前期に備中国で活躍した青江恒次によって作られたとされる刀で日蓮が所有し、現在では尼崎市の本興寺にある。

 大包平は平安時代に活躍した古備前派の包平の作で岡山池田家が所有していたが文部省が買い上げ、東京国立博物館に寄託されている。山鳥毛は備前長船の名品で、米沢の上杉家に伝えられてきたが、岡山の収集家を経て、2020年に製造地の瀬戸内市がクラウドファンディングを実施して購入した。

鎌倉時代から南北朝にかけて鎌倉で活躍した正宗は伝説の名工で豊臣秀吉が愛好したが、無銘のものが多く真作かの判断が難しい。日向正宗は秀吉から石田三成に渡され紀州徳川家に伝わった。三井美術館蔵。南北朝時代に活動した山城の刀工である長谷部国重のへし切長谷部は、織田信長が茶坊主を隠れていた棚ごと圧し切った成敗したとことに由来。福岡市博物館。薙刀は、鎌倉時代から室町時代にかけて流行した武器で、「薙刀 銘 備前国長船住人長光造」(三島市佐野美術館)は唯一の国宝だ。

江戸時代の中ごろの一般的な刀と脇差の刀身は、刀の刀身が二尺三寸(約七〇センチ)前後、脇差の刀身が一尺八寸(約五五センチ)前後である。刀と脇差は、特殊な事情、たとえば拝領したとか、先祖伝来とかの事情がない限り、二つで一揃えにする。つまり作刀も外装も同じで、長さだけが異なっている。

漆塗りにした木製の鞘の先端に鐺という金具をはめ、刃関の部分に金属の鍔をつけ、柄には、鮫皮を張って、その上に糸などを巻く。鞘には栗型という金具を付けて、下緒を通す。鞘の口の部分は鯉口と呼び、鯉口にかみ合う刀身側の金具を切羽と呼ぶ。ここの手入れが悪いと、いざというときに刀が抜けず、「切羽詰まる」わけだ。