6月17日、国民民主党の山尾志桜里衆議院議員が、次の総選挙には出馬せず、政界引退を表明した。政策通の有能な女性議員を失うことは返す返す残念である。
ところで、この表明文の中で、山尾氏は政界の新陳代謝を促すため「永田町に一番必要なのはプレーヤーの交代です。現職がいても毎回予備選をやること。そして議員任期を制限すること」と述べられた。
予備選挙というのは、なかなか良いアイデアだと思う。アメリカの大統領選挙の政党の候補者指名のような大々的な予備選は無理にしても、イギリス議会選挙の各選挙区で行われる政党の候補者選びのようなものなら、日本でもできそうだ。元財務官僚の松元崇氏によると、政党の地区委員会が、書類選考で絞った5、6人の候補予定者に所信表明演説をさせ、質疑応答ののち、委員の投票で当該選挙区の候補者(小選挙区制なので1人)を決めるという。
けれども、山尾氏の「議員任期の制限」という点には賛成しかねる。少し前であれば、私も「新しい血が必要だ、任期制賛成!」と叫んだかもしれないが、ある研究プロジェクトで5人の女性国会議員さんにお話を伺う機会があり、当選を重ね、政治経験を積むことのメリットを痛感するようになった。
インタビューをした女性議員さんたちは、所属政党、当選回数や世代が異なり、駆け出しの方から経験を重ねたベテランまで含まれていた。新人や当選回数の少ない方たちの考えは実に興味深く、政治の既成概念にとらわれない面白いアイデアと怖いもの知らずの行動力で、「ダサいおじさん」政治のイメージを払拭させられた。世代交代は、確かに必要だ。
しかしながら、女性が議会で実力を発揮し、政治の中枢で活躍するために、経験は不可欠だ。お話を伺ったうちのお一人は、政界で20数年のキャリアを築き、日本の女性政治家のフロントランナーと言っても過言ではない方であった。私のどんな質問にも、正直かつ丁寧な答えが返ってきた。内容も、政治家によくみられるような薄ぺらさは皆無で、中身の濃いものだった。時節柄、オンラインでの面談となったが、画面越しにも、包容力と人間的な魅力が伝わってきた。
大物政治家には、その地位にともなってカリスマ的なオーラが生じがちで、その人物に直接会ったり、握手したりした有権者はそのオーラに惑わされてしまうらしい。私も、迂闊にも魔法にかけられたのかもしれない!
件の女性議員さんの政治的実力と魅力的な人物像は、山あり谷ありの政治的キャリアからつくり上げられたものだと思う。若くして政治家になり、女性議員が今以上に少なかったゆえに過剰なまでに持て囃されたかと思うと、党首の気まぐれやら何やらでどん底に突き落とされて地獄をみた、とマアこんな感じであろうか。
大学で政治学を専攻したからといって政治家になれるものでもないし、まして政治学者が政治の現場で役に立つかというと、これも甚だ疑問である。政治の現場で求められるのは、場数を踏み、地道に仕事をして経験を積み、現実に即した勉強を怠らないことではなかろうか。政策には科学的な根拠やアプローチが求められるが、人を動かすのは科学よりも、人間関係や社会事象を熟知した言葉であり、態度だ。政治がアートとも呼ばれる所以である。
場数や経験知は、政治に限らず、社会活動全般に当てはまることのような気がする。私自身のことを振り返ってみても、10年くらい経ってやっと、大学人、研究者として何とかやっていけるようになり、20年を過ぎたくらいから大概のことに難なく対処でき、自信もついてきた。もちろん、こんなに時間がかかるのは私の能力不足のせいかもしれないが。
未だ女性国会議員が衆議院9.9%、参議院22.4%という現状では、世代交代よりも少ない女性議員さんたちの当選回数を伸ばし、政治家としての実力を高めることに集中すべきではなかろうか。むしろ問題は、なかなか後進に道を譲ろうとしない長老の先生方だ。自民党で女性議員を増やせない理由の一端だとも指摘されている。必要なのは、任期制ではなく定年制である。