47都道府県史と全市町村を俯瞰する~兵庫県を例に

宇宙から見る日本列島は、ユーラシア大陸の東の果てに沿って、太平洋の青い海の上に美しい弓のような形をした弧を描いている。「狭い日本、そんな急いでどこに行く」あんどといわれるが、東京と大阪はロンドンとパリより離れていいるし、北海道と沖縄はイギリスとギリシャに匹敵する距離がある。

であれば、日本史を語るなら、時系列だけでなく、47都道府県と1700の市町村ごとの地方史からなるモザイクとしてみる視点も必要だ。自分の故郷の歴史はみんな知っているが、ほかの地域の歩みに詳しい人はほとんどいない。だが、よその地域を知らなければ、自分の地域のことの理解も浅薄になる。

私の新刊「365日でわかる日本史 時代・地域・文化3つの視点で「読む年表」」(清談社)では、そういう観点から、2~3ページで、全国47都道府県史を掲載している。また、すべての市町村を紹介した。

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今回はそのうち兵庫県の項目をモデルとして紹介したい。

◆兵庫県(播磨・但馬・淡路・摂津の西半分・丹波の一部)①

神戸の「神」は生田神社

阪神・淡路大震災は 死者6434人を数える大災害となった。

兵庫と神戸というのは、神奈川と横浜の関係とよく似ている。第1次府県統合(1871年)では、摂津の西半分は兵庫県、播磨は飾磨県、但馬国・丹後国に加え丹波西半分を豊岡県としていた

1876年に飾磨県、豊岡県のうち但馬地方、それに徳島の本藩と紛争があった淡路国が兵庫県に組み入れられた。

兵庫の語源は武庫川の武庫と同じで、武庫川の河口から阪神間一帯のことをいっていたのが、だんだん、神戸市の兵庫区あたりを指すようになった。平清盛はもともとこのあたりに荘園を持っていたが、港を大輪田の泊として整備して宋の舟を招き、六甲山の麓の福原に遷都させた。

だが、清盛の死とともに京都に戻り、一ノ谷の合戦ではここに陣を張った平家が敗れた。その後も、兵庫は天然の好地形もあって港町として繁盛し続け。江戸時代には、尼崎藩領から天領に移管され、人口も2万人という大藩の城下町並みになった。

そして、幕末には、大阪に近い開港候補地として注目され、孝明天皇は頑強に反対したが、徳川慶喜に押し切られた。そして、港として適当な水深が確保できること、高燥な住宅地を確保できたこと、ここで汲んだ水は赤道を越せるといわれたこと、六甲山という避暑地が背後にあるなど欧米人好みの都市としての条件が評価された。

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開港のとき、外国人との紛争を避けるために、旧来の兵庫の港の中心より東の生田神社の周辺が居留地として開発され、生田神社の支配する地域であることを意味する神戸と呼ばれていたことから、兵庫と区別されることになった。ただし兵庫という言い方も引き続き違使われ、1881年になって神戸に統一された。しかし、県名としては兵庫という古い名前がそのままになったということだ。

神戸市中心部のあたりは摂津国武庫郡だが、これは、明治になって八部、菟原、武庫郡が合併したものである。歴史的には中央区、兵庫区、長田区、須磨区は旧八部郡である。現在の神戸市域の外縁部は、灘区や東灘区などが旧菟原郡、六甲山の裏側の北区は有馬郡と播磨国美嚢郡、西部の垂水区や西区は播磨国明石郡である。

東海道本線は新大阪が終点だが、東海道本線は神戸駅が終点である。外国航路も太平洋航路は横浜からだが、欧州航路は神戸からだった。外国人では、中国人も多く中華街は南京町という。インド人も多い。現代の主たる繁華街は三宮から元町当たりだ。山手の北野は異人館が多い。灘地区は清酒の大産地。

方言:但馬や淡路はやや独特であるが、神戸から播州にかけては、関西弁が徐々に中国地方の言葉に変わっていく過程である。神戸っ子訛の典型といわれるのは「とう」という表現で、大阪の「てる」と中国地方の「とる」の中間である。「それ知っとう」とかいうように使う。

◆兵庫県(播磨・但馬・淡路・摂津の西半分・丹波の一部)②

日本標準時を示す東経135度の子午線が通るのは明石市

播磨を攻略した羽柴秀吉に、黒田如水が自分の居城である姫路を譲り、関ヶ原の戦いのあとには、池田輝政が大改造し白鷺城と別称がある真っ白い城にした。世界遺産である。頻繁な領主交替のあと、酒井氏15万石(姫路藩)となった。

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播磨国は『播磨国風土記』が残っており、神功皇后が三韓征伐(歴史的文書からの引用)の帰路立ち寄り、井戸を掘って「針間井」といわれるようになったとある。

姫路市は飾磨郡である。建部氏の林田藩1万石も市内。夢前町と家島町、神崎郡香寺町、宍粟郡安富町を合併した。美嚢郡の三木市は刃物の町。酒米「山田錦」発祥の地ともいう吉川町を合併。明石市は明石郡で越前家分家の松平10万石(明石藩)の城下町。三木市との間には神戸市西区が入り込んでいる。

加東郡には、一柳氏1万石(小野藩)の小野市がある。算盤の産地。丹羽氏1万石の三草藩の社町に滝野・東条町が合併して加東市。多可郡の中心は綿織物の産地である西脇市で黒田庄町を合併。郡役所があった中町と加美町、八千代町で多可町になった。

加古郡の中心は加古川市。神戸製鋼所の製鉄所があり安倍晋三元首相が若い頃勤務した。鶴林寺は聖徳太子の建立。謡曲「高砂」に謡われている相生の松は高砂市にある。ほかに、稲美町と播磨町。印南郡は加古川、高砂両市に併合されて消えた。加西市は加西郡で、北条地区に郡役所があり、一乗寺に平安時代の美しい三重塔がある。

神崎郡のうち大河内町と神崎町が合併して神河町になった。ほかに、田原地区に郡役所があった福崎町と市川町がある。揖保郡は素麺で知られる。ヒガシマルなど醤油の産地である龍野市は脇坂氏5万石(龍野藩)の城下町だったが、新宮・御津・揖保川町と合併して「たつの市」となった。御津町の室津港は、瀬戸内海で重要港湾の一つで、多くの西国大名は参勤交代の際にここで上陸した。太子町は聖徳太子の領地であり斑鳩寺がある。

大阪周辺第一の高級住宅街である芦屋市は旧菟原郡、江戸時代から酒造が盛んな西宮市の大部分は旧武庫郡だ。西宮は十日えびす大祭で知られる西宮神社の門前町で、甲子園球場、神戸女学院、関西学院もある。

松平氏4万石(尼崎藩)の尼崎市周辺は川辺郡である。城跡には何もなかったが、違う場所だが天守閣を復元した建物が家電量販店創業者の寄付で実現した。川西市の多田は清和源氏の嫡流・多田(摂津)源氏の本拠。分家の河内源氏の方が栄えたが、美濃の土岐氏などは多田源氏だ。つまり、明智光秀もそうだということになる。 伊丹市は清酒の発祥の地で伊丹空港の所在地。宝塚市は宝塚歌劇団の本拠地。ほかに猪名川町。九鬼氏4万石の三田市は有馬郡。「みた」ではなく「さんだ」である。最近、人気上昇中の白洲次郎(吉田茂側近)は三田藩家老家の出身。

方言:播磨弁は「なんどいや(なんですか)」といったくらいは威勢がいい感じだが、「いてこましたろかぁ(痛い目にあわそうか)」となると迫力がありすぎ。性格も豪快で自己主張が強い。

◆兵庫県(播磨・但馬・淡路・摂津の西半分・丹波の一部)③

朝来市には「天空の城」として人気の竹田城趾がある。

明石大橋がある淡路市には『古事記』による国産み神話にちなむ伊奘諾神宮がある。淡路島は日本で最初にできあがった土地なのである。

但馬国は「橘」、あるいは「馬」を語源とするらしい。朝来市は同名の郡の全町村、つまり、銀山で栄えた生野町、和田山町、山東・朝来町が合併したもの。養父市も養父郡の八鹿・養父・大屋・関宮町が合併した。鉢伏山や氷ノ山のスキー場がある。

城崎郡に属し京極氏(丸亀藩祖の弟高知の系統)2万石(豊岡藩)の豊岡市は、温泉で知られる城崎町、日高・竹野町、出石郡の出石・但東町を合併した。出石町は仙石氏3万石(出石藩)の城下町で皿蕎麦も人気。戦国時代には山名氏の本拠地でもあった。

美方郡のうち美方町、村岡町、それに城崎郡でカニが名物の香住町は香美町に。水族館の浜坂町と「夢千代日記」の舞台・湯村温泉の温泉町は合併して「新温泉町」になった。

丹波国のうち兵庫県に入ったのは多紀郡と氷上郡。それぞれ丹波篠山市と丹波市になった。丹波篠山市に加わったのは、青山氏6万石(篠山藩)の篠山町、西紀・丹南・今田町だ。はじめ篠山市だったが、丹波篠山という通称に合わせた。

丹波市となったのが氷上郡の柏原・氷上・青垣・山南・春日・市島町である。柏原藩は織田氏2万石だが、四つの織田姓の大名のうちここの殿様が宗家の扱いになっている。春日町は春日局の父で明智光秀の家老だった斎藤利三の領地で、春日局はここで生まれた。

淡路国は阿波への道か。洲本市は津名郡に属し、徳島藩家老稲田氏の居城があった。明治維新のときに独立の諸侯になろうとしたが、それを徳島藩が弾圧したのが稲田騒動である。稲田家臣の多くは北海道の静内や色丹に移ったが、徳島との溝は埋まらず、淡路は兵庫県に入った。洲本市は司馬遼太郎『菜の花の沖』の主人公・高田屋嘉兵衛の生地である五色町を合併した。津名郡のうち、残りの津名・淡路・北淡・一宮・東浦町は合併して淡路市になった。阪神・淡路大震災の原因となった野島断層の記念館もある。

三原郡は南あわじ市になった。かつての国府で、市村地区に郡役所があった三原町、タマネギで有名な緑町、鳴門大橋の淡路側にある南淡・西淡町が合併した。

赤穂郡の赤穂市は森氏2万石(赤穂藩)。相生市はIHI(石川島播磨重工業)の本拠地で山陽新幹線の駅がある。上郡町は鳥取へ向かう智頭急行の起点である。佐用郡では平福地区に古い町並みが残る佐用町が、山中鹿之介で有名な上月町、森氏2万石(三日月藩)の三日月町、南光町を合併した。西播磨テクノポリスが展開する。宍粟郡では本多氏1万石の山崎町、伊和神社がある一宮町、波賀・千種町が合併して宍粟市になった。

グルメ:神戸の洋食と中華料理、神戸牛、灘の生一本、丹波のボタン鍋、明石鯛、明石焼き、マツバガニ、焼きアナゴ